6.真実と痛み version 5
白紙のページ6.
「すごく真面目で優秀な、努力家でした」
真壁咲良という人、そして沢村智輝が彼女を愛したということ。その説明は、そんな言葉から始まった。
「ただ、彼女はその生真面目で優しい笑顔の裏で、複雑な社会に心を砕きすぎていたんです。でも私は、彼女をそんな笑顔から好きになってしまった人間だった」
「ただ、彼女はその生真面目で優しい笑顔の裏で、彼女自身を囲むものに心を砕きすぎていたんです。けれど私は、彼女をそんな笑顔から好きになってしまった人間だった」
沢村は悔恨に眉をひそめる。またその言葉から彼の葛藤が垣間見えた。そしてそれは、健人の内の"ある記憶"を揺さぶった。
"この夜にあなたが私に優しくしてくれたこと、覚えててねーー"
だが、想起される思い出に今は頭を振り、目の前の話に意識を向け直す。
「彼女を楽にして上げたい反面、彼女の抱える思いを充分に理解しきれていなかった。それで互いにずっと苦しんでいたんです」
「…事件が起きた頃合いは、どうでした?」
「二人とも、今話した思いに疲弊していました」
初樹が間合いを見て差し込んだ問いに対し、沢村は一つ間を置いて答えた。その応答には嗚咽にも似た小さな溜め息が混じっていた。
「そして事が起きて…警察の方に、私から彼女と私の抱えている苦痛を話すことは躊躇われた。疲弊していた私はふとその時…世間体を、気にしたんです」
「そして事が起きて…警察の方に、私から彼女と私の抱えている苦痛を話すことは躊躇われた。疲弊していた私はふとその時…その一瞬だけ、世間体を気にしたんです」
「それで世間体って言っても…」
「うん、それは失踪届けと併せて、家族がするような話でもある」
健人と初樹の提示した疑問に、沢村は目を伏せる。そして静かにこう言った。
「いえ、あのご家族は話さなかったでしょう。咲良はいつか言っていた。"家族は私のことは何もないとしてる"って」
「いえ、あのご家族は全ては話さなかったでしょう。咲良はいつか言っていました。"家族は私のことは何もないとしてる"って」
現実としてある話だ。専攻していた学問の性質上、そう理解はしていた。しかし、家族と言えど臭い物に蓋をするその性質に、健人は顔を歪めた。
「そういうことですか…真壁さんの母親の、あの性急さの理由」
初樹も得心しながら眉根を寄せる。精神的に困難を抱えた人とその周囲の困難。互いに理解の必要な状況。
家族に起きた病を認められないというのは、精神のそれに於いてはある話だ。専攻していた学問の性質上、そう理解はしていた。しかし、家族のことだ。まるで臭い物に蓋をするその考えに、健人は顔を歪めた。
「そういうことですか…真壁さんの母親の、自責の理由。読み違えていた」
初樹も得心しながら眉根を寄せる。その生真面目さ故に心が疲弊し、精神的困難を抱えた真壁咲良。それを受容しきれず、彼女は尚も笑顔を作ってきた。近しい者もその病みを受容しようとせず、また理解しようとした恋人との関係にも、その困難が付きまとっていた。
「ですがね、彼女の家族が彼女の困難を認めなかったとしても、私が彼女の存在から一瞬でも逃げようとしたことは、言い訳できない。その狭間で揺らいでいたあの時は、安場佐田のご主人に、窘められた思いでした。」
「申し上げにくいのですが、彼女が失踪したのです」
「ですが、何か言いにくい思いもあったのでしょう?」
沢村のその言葉に、健人は彼と出会った時の佐田が、憮然としていたことの意味を理解した。あんな状況で佐田にできる返答は、あれが最大限のものだったのだろう。そして沢村はその後、本気で彼女の真相と向き合うために、安場佐田であのロケット二つを買った。その文脈がようやく読み取れた。
「そのことを受けて思いました。私は彼女を幸せに出来なかったとして、何を差し置いてでもこれだけは、譲れない。逃げられないと」
そう語る沢村の顔、覚悟が刻まれた瞳には、真摯な光が宿っていた。その光に、健人は"ならば自分はどうだ?"と自問した。左手のブレスレットに目を向ける。友から渡されたそれは、怪物に抗う力を花森健人に与えた。そのことが意味するものが何か。自分はそれから、逃げられるだろうか。"あの友の優しさ"に、目を背けられるだろうか。自分はなぜ、このブレスレットを着けているのか。初樹や沢村も、逃れられない中で足掻いている。俺はどうする?俺はーー。
「…俺も、逃げられないか」
「花っちーー」
「わかってる、ハッサン。やれるだけ、やってみるさ」
その言葉に、初樹が強く頷いた。
「すごく真面目で優秀な、努力家でした」
真壁咲良という人、そして沢村智輝が彼女を愛したということ。その説明は、そんな言葉から始まった。
「ただ、彼女はその生真面目で優しい笑顔の裏で、彼女自身を囲むものに心を砕きすぎていたんです。けれど私は、彼女をそんな笑顔から好きになってしまった人間だった」
沢村は悔恨に眉をひそめる。またその言葉から彼の葛藤が垣間見えた。そしてそれは、健人の内の"ある記憶"を揺さぶった。
"この夜にあなたが私に優しくしてくれたこと、覚えててねーー"
だが、想起される思い出に今は頭を振り、目の前の話に意識を向け直す。
「彼女を楽にして上げたい反面、彼女の抱える思いを充分に理解しきれていなかった。それで互いにずっと苦しんでいたんです」
「…事件が起きた頃合いは、どうでした?」
「二人とも、今話した思いに疲弊していました」
初樹が間合いを見て差し込んだ問いに対し、沢村は一つ間を置いて答えた。その応答には嗚咽にも似た小さな溜め息が混じっていた。
「そして事が起きて…警察の方に、私から彼女と私の抱えている苦痛を話すことは躊躇われた。疲弊していた私はふとその時…その一瞬だけ、世間体を気にしたんです」
「それで世間体って言っても…」
「うん、それは失踪届けと併せて、家族がするような話でもある」
健人と初樹の提示した疑問に、沢村は目を伏せる。そして静かにこう言った。
「いえ、あのご家族は全ては話さなかったでしょう。咲良はいつか言っていました。"家族は私のことは何もないとしてる"って」
家族に起きた病を認められないというのは、精神のそれに於いてはある話だ。専攻していた学問の性質上、そう理解はしていた。しかし、家族のことだ。まるで臭い物に蓋をするその考えに、健人は顔を歪めた。
「そういうことですか…真壁さんの母親の、自責の理由。読み違えていた」
初樹も得心しながら眉根を寄せる。その生真面目さ故に心が疲弊し、精神的困難を抱えた真壁咲良。それを受容しきれず、彼女は尚も笑顔を作ってきた。近しい者もその病みを受容しようとせず、また理解しようとした恋人との関係にも、その困難が付きまとっていた。
「ですがね、彼女の家族が彼女の困難を認めなかったとしても、私が彼女の存在から一瞬でも逃げようとしたことは、言い訳できない。その狭間で揺らいでいたあの時は、安場佐田のご主人に、窘められた思いでした。」
「申し上げにくいのですが、彼女が失踪したのです」
「ですが、何か言いにくい思いもあったのでしょう?」
沢村のその言葉に、健人は彼と出会った時の佐田が、憮然としていたことの意味を理解した。あんな状況で佐田にできる返答は、あれが最大限のものだったのだろう。そして沢村はその後、本気で彼女の真相と向き合うために、安場佐田であのロケット二つを買った。その文脈がようやく読み取れた。
「そのことを受けて思いました。私は彼女を幸せに出来なかったとして、何を差し置いてでもこれだけは、譲れない。逃げられないと」
そう語る沢村の顔、覚悟が刻まれた瞳には、真摯な光が宿っていた。その光に、健人は"ならば自分はどうだ?"と自問した。左手のブレスレットに目を向ける。友から渡されたそれは、怪物に抗う力を花森健人に与えた。そのことが意味するものが何か。自分はそれから、逃げられるだろうか。"あの友の優しさ"に、目を背けられるだろうか。自分はなぜ、このブレスレットを着けているのか。初樹や沢村も、逃れられない中で足掻いている。俺はどうする?俺はーー。
「…俺も、逃げられないか」
「花っちーー」
「わかってる、ハッサン。やれるだけ、やってみるさ」
その言葉に、初樹が強く頷いた。