出会いと腕輪 version 5
その出会いは
その日の深夜2時、花森健人は夜の朝憬市東部をあてもなく歩いていた。茫然自失の徘徊と言ってもいい。未だ家のベッドで眠りたくもあったが、目が冴えた今は何よりも現実から離れたかった。脳裏に浮かぶのは、誰に何が出来ていると言えるのかもわからない、福祉施設のアルバイトでの上司の言葉。
その日の深夜2時、花森健人は夜の朝憬市東部をあてもなく歩いていた。茫然自失の徘徊と言ってもいい。未だ家のベッドで眠りたくもあったが、目が冴えた今は何よりも現実から離れたかった。
脳裏に浮かぶのは、誰に何が出来ていると言えるのか、何もわかることはない福祉施設のアルバイト。そこでの上司の言葉。
「あんた何も出来ないね」
そちらに言われたくはない。俺とあんたらは同類だ。所詮、自他共に面倒臭いだけだけど。自身の内だけでそう吠える負け犬と共に、家の玄関を開けて外に出る。とっくに日の沈んだ街並みは、人の眠りと共にその雑踏と電気の光を消していた。本来なら夜の危険さは世の常であるが、この時だけは、抱えた厭世ごと自分さえ消えられたような錯覚が出来た。
季節は2月。来月には17になるが、健人の自我は悲鳴を上げていた。理由は、一言で言えば自他への諦念だった。始まりは、苛めに傷つく誰かが泣いて、傷つけた誰かが嗤っていたことか。それに言いようのない理不尽を感じた健人としては、可能な限りは人に優しくあろうと努めたつもりだった。しかし現実問題、彼は愚鈍であり、自他共にその事情や思いが複雑に絡まっている世界を、まるで認識しきれなかった。故に気取った優しさも本質を欠いた欺瞞でしかなく、無能と無力は、その影を色濃く拡げていた。人は皆、それぞれの抱えたものと、抱えた誰かとの関わりから逃れることはできない。独り善がりの果てに、それをようやく理解した時には、健人はこの夜を彷徨っていた。
そちらに言われたくはない。俺とあんたらは同類だ。救いを気取るだけで。所詮、皆面倒臭いだけだ。自身の内だけでそう吠える負け犬と共に、家の玄関を開けて外に出る。
とっくに日の沈んだ街並みは、人の眠りと共にその雑踏と電気の光を消していた。本来なら夜の危険は世の常であるが、この時だけは、抱えた厭世ごと自分さえ消えられたような錯覚が出来た。
季節は2月。来月には18になるが、健人の自我は危機に瀕していた。理由は一言で言えば自身も含めた人への諦念だった。始まりは、苛めに傷つく誰かが泣いて、傷つけた誰かが嗤っていたことか。健人としては、その虚しさと怖気に歯向かい、可能な限りは人に優しくあろうと努めたつもりだった。
しかし現実問題、彼は愚鈍であり無能、そして無力だった。自他共に事情や思いが複雑に絡まっている世界をまるで認識しきれず、故に気取った優しさも本質を欠いた欺瞞でしかなかった。そして無能と無力はまた、常に人々との軋轢を生み、自身の中でその影を色濃く拡げていた。
人は皆、それぞれに抱えたものと、抱えた誰かとの関わりから逃れることはできない。独り善がりの果てに、それをようやく理解した時には、健人はこの夜を彷徨っていた。
「どうするか…」
朝の迎え方もわからず、ただ現実に怯えて進める歩み。一方で自己を守る思考も、別にないつもりだ。でなければ、こんなことは出来ない。漠然と、死にたいのだろうかと考えるも、そんな問答さえ陳腐なもののような気がした。だったらーー。
朝の迎え方もわからず、ただ現実に怯え、昔兄貴分に連れられた展望台に向かって進める歩み。だが自己を守る思考も別にないつもりだ。でなければこんなことは出来ない。漠然と死にたいのだろうかと考えるも、そんな問答さえ陳腐なもののような気がした。だったらーー。
「どうでもいいか」
そう呟いたその時、不意に誰かの声が聞こえた。
展望台前に位置する上り坂に辿り着き、そう呟く。その時、不意に誰かの声が聞こえた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それは、啜り泣く若い女性の声だった。すぐさま身構える。こんな真夜中、街からは離れた場所で、姿の見えない女性の泣き声など聞いた日には、粋がった自棄よりも備わった自己保存からくる怖れが優先された。それが却って滑稽だったが、次に聞こえた涙声は、引き返そうとする健人の足を止めた。
「私は、なんのために生まれてきたの?」
悲しみと痛みを携えたその言葉は、現実に聞こえたその思いと響きは、花森健人の空虚な心の始まりとほぼ類似しているように彼には思えた。だからだろうか。そこから動くことが出来ない。けれど、わからない。その問いへの答えなど到底持ち合わせていない。息が上がり、目が見開かれる。そこに浮かび上がる心。それはーー
目にしてきた人の悲痛。
それを生むものへの怒り。
しかし何も出来ない自分。
故に置いて行った。
忘れてきた。
面倒と蓋をしてきたもの。
「ねえ、皆の笑顔を守るんじゃなかったの?」
そう問いかけてくる幼い頃の自分。砕け散った希望。それに向けて、一言だけ小さく告げる。
「ここが最期。"お前"の墓場だ」
そして健人は、声のする坂の上へと駆け出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上り坂を駆けた先、そこに居たのはまだあどけなさの残る少女の姿だった。
その日の深夜2時、花森健人は夜の朝憬市東部をあてもなく歩いていた。茫然自失の徘徊と言ってもいい。未だ家のベッドで眠りたくもあったが、目が冴えた今は何よりも現実から離れたかった。
脳裏に浮かぶのは、誰に何が出来ていると言えるのか、何もわかることはない福祉施設のアルバイト。そこでの上司の言葉。
「あんた何も出来ないね」
そちらに言われたくはない。俺とあんたらは同類だ。救いを気取るだけで。所詮、皆面倒臭いだけだ。自身の内だけでそう吠える負け犬と共に、家の玄関を開けて外に出る。
とっくに日の沈んだ街並みは、人の眠りと共にその雑踏と電気の光を消していた。本来なら夜の危険は世の常であるが、この時だけは、抱えた厭世ごと自分さえ消えられたような錯覚が出来た。
季節は2月。来月には18になるが、健人の自我は危機に瀕していた。理由は一言で言えば自身も含めた人への諦念だった。始まりは、苛めに傷つく誰かが泣いて、傷つけた誰かが嗤っていたことか。健人としては、その虚しさと怖気に歯向かい、可能な限りは人に優しくあろうと努めたつもりだった。
しかし現実問題、彼は愚鈍であり無能、そして無力だった。自他共に事情や思いが複雑に絡まっている世界をまるで認識しきれず、故に気取った優しさも本質を欠いた欺瞞でしかなかった。そして無能と無力はまた、常に人々との軋轢を生み、自身の中でその影を色濃く拡げていた。
人は皆、それぞれに抱えたものと、抱えた誰かとの関わりから逃れることはできない。独り善がりの果てに、それをようやく理解した時には、健人はこの夜を彷徨っていた。
「どうするか…」
朝の迎え方もわからず、ただ現実に怯え、昔兄貴分に連れられた展望台に向かって進める歩み。だが自己を守る思考も別にないつもりだ。でなければこんなことは出来ない。漠然と死にたいのだろうかと考えるも、そんな問答さえ陳腐なもののような気がした。だったらーー。
「どうでもいいか」
展望台前に位置する上り坂に辿り着き、そう呟く。その時、不意に誰かの声が聞こえた。
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それは、啜り泣く若い女性の声だった。すぐさま身構える。こんな真夜中、街からは離れた場所で、姿の見えない女性の泣き声など聞いた日には、粋がった自棄よりも備わった自己保存からくる怖れが優先された。それが却って滑稽だったが、次に聞こえた涙声は、引き返そうとする健人の足を止めた。
「私は、なんのために生まれてきたの?」
悲しみと痛みを携えたその言葉は、現実に聞こえたその思いと響きは、花森健人の空虚な心の始まりとほぼ類似しているように彼には思えた。だからだろうか。そこから動くことが出来ない。けれど、わからない。その問いへの答えなど到底持ち合わせていない。息が上がり、目が見開かれる。そこに浮かび上がる心。それはーー
目にしてきた人の悲痛。
それを生むものへの怒り。
しかし何も出来ない自分。
故に置いて行った。
忘れてきた。
面倒と蓋をしてきたもの。
「ねえ、皆の笑顔を守るんじゃなかったの?」
そう問いかけてくる幼い頃の自分。砕け散った希望。それに向けて、一言だけ小さく告げる。
「ここが最期。"お前"の墓場だ」
そして健人は、声のする坂の上へと駆け出した。
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上り坂を駆けた先、そこに居たのはまだあどけなさの残る少女の姿だった。