みんなのメモ
メモを書く
書く
ログイン / 登録
登録
メモのページに戻る
出会いと腕輪
preview
preview
URL
OK
その日の深夜1時、花森健人は夜の朝憬市東部をあてもなく歩いていた。茫然自失の徘徊と言ってもいい。未だ家のベッドで眠りたくもあったが、目が冴えた今は何よりも現実から離れたかった。 脳裏に浮かぶのは、誰に何が出来ていると言えるのか、何もわかることはない福祉施設のアルバイト。そこでの上司の言葉。 「あんた、何も出来ないね」 そちらに言われたくはない。俺とそちらは同類だ。違いなどどこにあろうか。皆、お気楽にも救いを騙って酩酊しているか、人の営みの面倒さに辟易しているかというだけだ。自身の内だけで彼らと自身とを同一視し、そう吠える負け犬と共に、家の玄関を開けて外に出る。 とっくに日の沈んだ街並みは、人の眠りと共にその雑踏と電灯の光を消していた。本来なら夜の危険は世の常であるが、この時だけは、抱えた厭世ごと自分さえ消えられたような錯覚が出来た。殊更、何を主張するわけでもない。ただ、馬鹿馬鹿しかった。人のことも自分のことも、懸命になることが酷くつまらないことのように感じられた。それまで自他に気取っていた優しさなどというものも、本質を欠いた欺瞞でしかなかった。そして自らの無能、無力は常に人々との間に軋轢を生み、自身の中で鬱屈を色濃く拡げていた。 「だりい」 もう18になろうとしている中で思い知ったのは、人は皆それぞれに抱えたものと、抱えた誰かとの関わりから逃れることはできないということ。独り善がりの果てに、それをようやく理解した時には、健人はこの夜を彷徨っていた。 「どうするか…」 朝の迎え方もわからず、ただ震えるのは2月の寒さ故か、現実か。昔兄貴分に連れられた展望台に向かって進める歩み。だが自己を守る思考も別にないつもりだ。でなければこんなことは出来ない。漠然と死にたいのだろうかと考えるも、そんな問答さえ陳腐なもののような気がした。 「どうでもいいか」 町外れの小高い丘、展望台前に位置する上り坂に差し掛かると同時にそう呟く。その時、不意に誰かの声が聞こえた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それは、啜り泣く若い女性の声だった。すぐさま身構える。こんな真夜中、街からは離れた場所で、姿の見えない女性の泣き声など聞いた日には、粋がった自棄よりも備わった自己保存からくる怖れが優先された。それが却って滑稽だったが、次に聞こえた涙声は、引き返そうとする健人の足を止めた。 「私は、何のために生まれてきたの?」 それは丁度、自分もそう思っていたからなのだろうか。だが、そんな問いを自分にしてきたのは、一回や二回ではない。花森健人の空虚な心は、もうそんなことを問うのも返答することも辟易していた。しかしそこから動くことができない。 「何でだろうな」 "何のために"。そんな問いへの答えなど到底持ち合わせていない。まして自分のそれでもない、誰かへの答えなんて。だというのに、不意に呼吸が苦しくなる。泣いている誰かは誰なのか、わからなくなる。いつかどこかで置いて行き、忘れてきた、面倒と蓋をしてきた何か。それを思い返す間に、耳に届く泣き声は悲痛さを増す。切なさと惨めさに胸が締め付けられる。 「やめてくれよ、俺には」 無理だ。大体、何で俺がこんなに同調しないといけない。何で俺が。勘弁してくれ、冗談じゃない。この期に及んで、何で俺の近くで。 「ねえ」 その時、誰かに呼び止められた気がした。否、誰かはすぐにわかった。その声の主を、健人は知っている。 「皆の笑顔を守るんじゃなかったの?優しいことのために、足掻くんでしょ?」 そこに居たのは、捨ててきた希望。生きることへの苦しさへ怨念を抱きながら、馬鹿な夢に酔っていた幼い自分。健人はそんな自分に向けて小さく言った。 「お前のせいだ。馬鹿なお前が、下らない夢ばっか妄想してるから」 行かなければいけない。責めるべきは泣いている女性ではない。だがこの餓鬼の妄執のせいで、俺は行かなければならなくなった。そんな餓鬼に向けて、伝えるべき言葉なんてーー。 「ここが最期。"お前"の墓場だ」 もう、それだけだった。そして健人は声のする方へと、上り坂に備わった広い階段を駆け上がった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 階段を上がった先、暗がりと僅かな電灯の狭間から 見えたのは、展望台のベンチに座る、あどけない少女の姿だった。その様を認めると同時に、それ以上少女に近づくのは躊躇われる。その時ようやく口がひどく渇いていたことを自覚した。これを"最期"とした時にまで見切り発車である自分の行動に、眩暈さえ覚える。そんな挙動不審の少年の口から、発せられるは動揺まみれの言葉。 「あ…えっと、待って。その…どうしたの?大丈夫、ですか?」 そんな健人の様に、遂にこちらに気付いたであろう少女が、弾かれたように顔を上げる。彼女の鮮やかな赤い髪が揺れる様が、電灯の灯りに映えた。そのまま逃げ去ってもおかしくはない。だが彼女は不思議と、その場から動くことはなかった。こちらから顔を逸らすこともないように見える。 「いや、こんな夜中に独りでいたら、危ないから…さ。どうしたのかなって…俺が言えた話じゃないけど」 どうにか言葉を続けてみるも、次には静寂が辺りを包む。しかし少女は未だこちらを注視していた。健人は少女の反応が読み取れない中で、どう話すべきなのか混乱していた。何て言えばいいのか。君が心配だなんて、いきなりそんな気障や、見境のないことは言えない。それこそ、相手が求める言葉や考えなど、わからない。まして自分には特に。 「親御さんとか、心配してない?」 故にそう言いながら、しまったと思った。家庭的な事情がある可能性を考慮できていない。或いは健全な家庭があるなら、こんな真夜中にこんなところにいるだろうか。事実、直後に顔を落とし、少女は涙声でこう言った。 「大丈夫、誰も心配してないから」 そんな、半ば予測通りの返答は、健人には酷く痛々しいものに思えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「誰も…か」 冬の夜の冷めた空気に、少女が小さくしゃくり上げる声だけが響く。その悲痛に、健人は目を伏せた。やっぱ俺じゃ駄目か。この期に及んで出てくるのは、つまらない自嘲と、現実への浅ましい皮肉。 「じゃあ俺、なんでこんなこと君に聞いてるんだろうな」 彼女のことを真に考えられていない気持ち悪さ。そんな自身の心さえもままならない無常に、小さく渇いた笑いを浮かべる。 「…えっ…?」 これ以上は無理かな、やっぱ。堪えるべきだが、そのための力はもう枯渇していて、右足が半歩引きかける。だが、その時だった。 「…私ね。私…世界で独りぼっちなんだ」 少女は健人のその様に、小さく思いを呟いた。それが健人を僅かでも引き留める。独りぼっち。そう発した彼女の陰りには、何も、何者も届くことはない。そう感じられた。 「全然知らない所に来て、家族も友達も誰もいなくて」 それでも今は、今だけは、目を背けてはいけない。問いかけたのは他でもない自分で、彼女は健人の心を繋ぐためにもその孤独を語ってくれているようにも感じられた。 「全然知らない所に来て、家族も友達も誰もいなくて」 それなら、逃げてはいけない。逃げるわけにはいかない。たとえ、少女の悲しみに顔を落としそうになったとして。 「こんなに宇宙は広いのに、その何処にも私の声は届かない」 その傷を負った心に、こちらの視界も涙で滲んだとして。今はただ、彼女を見る。 「それじゃあ私は、なんのために生まれてきたの?」 だが今一度、涙ながらにその言葉を紡ぐ彼女の姿は、皮肉にもひどく美しくさえ思われたそれは、健人を落涙させた。その理由は、健人にさえわからなかった。 「なんでかな…一生懸命やってるのにね」 間を置いて口から出た返答が、彼女の思いに見合うものなのかはわからない。ただ、自然と思いは口から零れ出た。 「ただ、ひどい話かもだけどさ。俺、ここで…君に会えて良かったな」 「…えっ」 自分の夢を葬る場所。彼女の今を、悲哀を、そんなことの出しにする。 「うん、ホントにひどい…多分今、君みたいな人と、話したかったんだ」 そんな自身をひどい人間と思わずにいられない。だが、それでも彼女の今は支えたかった。それを信じる自分だけで精一杯で、限界だった。 「もし、なんだけど…よかったら、なんだけど。一人言、言っていかない?」 だから、一人言なんて言ったのだろうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 彼女の姿は、もどかしくも展望台の電灯で逆光となって、正確に見ることは叶わない。気がつけば次の瞬間には、腕輪はもう通されてしまっていた。 「お願い。大切な名前をくれた人だから、どうかまた会えるように」 そして顔を伏せながらも、祈るように紡がれたその言葉。赤い髪の向こうに隠れる、同じ赤い色の瞳が僅かに見える。辛うじて確認できたその二つは、真摯な音と光を放っていたように、健人には思えた。 「わかった、大切にするよ。約束だ」 「うん、約束」 だから、それに応える。その方が再会のために必要だというのなら、そのために約束する。同時に、気が付いた。電灯による逆光が、心羽の顔を見えなくしていると思っていたが、既に展望台の辺り一面を柔らかく淡い光が包んでいる。だが次にはその光も、腕輪に宿る宝石も、この真夜中を反映するように深い青のそれへと変わっていた。健人の姿も、健人の手を取る心羽の姿も、戸惑いと共に青い光の中に滲んでいき、徐々にあやふやにしていってしまう。 「何、これ…!?」 「えっ、こんなことって…ねえ、待って!どうなってるんだ!?」 繋ぎ続けようとした二人の手も、その輪郭がぼやけていき、心羽の存在がますます朧気になる。そして、健人自身の存在も。ならば、せめて。 「あの、俺の…!」 必死に言いながら、繋ぎ続けようとした右手は、尚も光に溶ける心羽の手を掴もうする。しかしそれは空を搔いた。 「俺の名前はーー!」 次の瞬間、息を呑み、覚醒する意識に認めた景色は、展望台や光ではなかった。まして赤髪の少女も、そこにはいない。そこにあったのは、自分の部屋の天井。出掛ける前、全てにうんざりしながら見つめたそれ。手は虚空に伸ばしたまま、しきれなかった自己紹介を小さく呟く。 「花森、健人」 夢だったのだろうか。燎星心羽は、彼女自身の疑った通り、本当はそこにおらず、幻だったのか。くたびれた自分だけが真実で、そのために妄想でもしていたのだろうか。展望台からどうやってこのベッドへと戻ったのか。そもそも、展望台へと向かったあの自分も夢だったのか。 「違う。夢だったなら」 虚ろに考えそうになる自分に、敢えて言いきる。そう言える根拠が、伸ばされた右手に備わっていたから。青い光の腕輪を目の前へと引き寄せる。あれが夢だというなら、今もこの不思議な腕輪が着けられているはずがない。カーテンの隙間から自室に射し込んだ朝日を睨む。 「行かなきゃ」 健人は昨晩と同じく、着の身着のままで自室を戸を開ける。だが今度は漫然とした徘徊の歩みではなく、飛び出すように家を出て、そして駆け出していった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 駆け出してから15分近く走り、先の展望台のある町外れの高野に今一度辿り着く。横腹が痛むが構うことはない。尚も上り坂の階段を駆け上がる。もしかしたら心羽ももう一度ここに来ているのではないか、そうであってくれ。息が上がるのは、疾走する身体のそれだけではないのを健人自身の意識は感じていた。 出会ったばかりの人でも、友達になれた。ようやくできた友達なのだから。たとえまだ拙い絆であっても、もう縁としてしまっているそれを失いたくはなかった。だから、期待、願い、虚ろさに引き戻される怖れ、それらが綯交ぜになった衝動に突き動かされ、階段を上がりきって、前を見る。 しかしそこには誰も居なかった。瞬間、糸が切れた感覚に身体がへたり込んでしまう。もう、会えないのだろうか。 「何で、こうなっちまうかな…」 そのまま叫ぶように呻いて身体を大の字に広げ、仰向けに天を仰ぐ。何も知らない青空に、ただ見下ろされてるような気がした。 「なんだってんだよ。一回くらい、いいだろうが」 人の気も知らないその爽やかな青さに、酷く神経を逆撫でされる思いになって、右腕で目元を塞いで閉じる。一瞬だけ鼻をすすった。2月の寒さからだ。そうに決まっている。 「俺には自己紹介も出来ねえってのか」 もう何度目かも分からない怨み節が、柔らかに吹く風の中に消えていく。思い起こされるは、彼女の喜んでくれた姿。しかしそれも既に、輪郭に靄がかかっている。眠りの世界や無意識にのみ浮かぶ夢の感覚のように。そのことに底冷えし、物悲しさが胸に広がる。だが待て、何で冷える。冷えることになっている。それはつまり、そうなのか。 「"まだ"ってことなのか」 まだ生きることを、求めるだけの熱があるというのか。冷えるのはまだ、心に熱があったことの証左だと。そう思うと同時に、自身の内にまだ少しだけ灯る火が、今も微かに揺らめいている。そんな気がした。その思いのままに、心羽に手渡された腕輪を見る。その時、青くなっていた宝石が、その一瞬だけ赤い色を灯した。心羽の、赤だった。 健人は身を起こすと心羽の座っていたベンチを見遣り、程なく展望台を跡にした。
まだ保存されていないメモがあります。
復旧しますか?
復旧する
しない
左の
入力欄に
Markdown形式
でメモを書くと、 プレビューがここに表示されます。
メモの書きかた