先送り文章

「アハトが消えた」
そこは朝憬市内のとある廃墟ビルの一室。カイルスはかつて使われていたものであろうビジネス机の上に腰掛け、外に面した窓に背を預けるネーゲルに言った。時間は深夜、深い暗闇の中に人間の作った電気の灯りがポツポツと灯っている。その光景を見つめたまま、ネーゲルは無愛想に一言返した。
「第一小隊の生き残り…その一角がついに殺されでもしたか?」
「可能性はある。誰かの失態のおかげでな」
金髪に隠れつつ伏せられた目が、黒コートの長身を一瞥する。ネーゲルはそれを見返すことなく、その視線を夜景を向けたまま、不服さに鼻を鳴らした。
「目ぼしき場所に奴らを配置したのはお前だろう?」
ネーゲルはその言葉と共に、ようやくカイルスの方へ顔を向けた。暗い長髪が闇夜に溶けながら少し揺れる。カイルスはその様に対して眉を上げ、「何が言いたい?」と問いを返した。
「アハトが死んだとして、”計画”に用いる頭数を一人でも減らしたその責は、配置を担当した第三小隊長———お前にある」
「ほう…原因を作っておいてよく言う」
互いの視線が絡むと共に沈黙が流れる。互いの主訴は平行線であり、エクリプスという種全体において担う役回りが同列というだけ。面倒な腹芸は趣味ではないが、それを四の五の言う状況でもない。優先すべきは力を取り戻すこと———ネーゲルのその思惑が、沈黙を破った。
「いずれにせよ、このまま事態を放任するわけにもいかないだろう?」
「まあ、確かにそうだ…あんたもやられたようだしな」
カイルスの目が無様と言わんばかりに嘲笑してきたが、それはさほど重要ではない。問題はここから切り出す”提案”への返答だ。さあ、どう切り返す…爬虫類…
「そこでだ恐竜…俺の揮石そのものはくれてやるわけにはいかないが、協力するならば”その半分は”くれてやってもいい」
瞬間、金色の瞳が僅かだが見開かれた。餌と分かって乗ってくるか…さあ、あとは…その異形としての赤い瞳が静かに、暗く光った———。

4月21日、火曜日の午後2時———花森健人は溜め息をつきながら、今一度英道大学の玄関口を通った。芝生の植えられた校庭を横切り、そのまま東棟二階の隅に位置する小教室に向かう。昨日の事件を受けて、横尾和明との再度待ち合わせる場所はそこに変更となったためだ。
 昨夜———蜘蛛の怪人が闇色の霞と消えた際にえづきこそしたものの、健人は可能な限りすぐ、応の事態の収拾として警察と救急に匿名の通報を入れた。また和明や西棟一階付近に倒れていた男子学生の安全を再度確保する。そうしてパトカーのサイレンを確認してその場を後にした。その後、この事は報道されたかもしれないが、そうしたニュースを見る気にもなれず、自宅アパートで呆然と過ごしていた。

END

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