千想の魔法 5.呪いの焼跡

5-1.教えてほしい

此処は………。一目で見当がついた。夢に出てきた、あの謎の空間だ。風景は前回とだいぶ異なるけれど、直感が告げている。ベンチに腰掛け本を開いたあの場所だと。だとすると、また夢の中にいるのだろうか。思考がふわふわとして、意思もわからないまま体が勝手に動く。何もない目の前に突然、一枚の紙が舞い、心羽はそれを手に取る。真っ白な紙に、心羽の視線の先から文字列が刻まれていく。

“冷静になればなるほど、おかしいのは俺だった”
“なにかできるわけがない、救えるはずがない”
“…………”

これは夢だ。連続性はないけど、あの夢の続きだ。
夢だとわかっていても、この文字列が無力に絶望しているのは痛いほど伝わってくる。私なら、なにかできるだろうか。なにか救えるだろうか。あの人が言っていた「優しいこと」を、実践できるだろうか。
これが夢で、幻想なら、失敗を恐れることはない。「優しいこと」を練習するチャンスだ。
心羽は文字列に指先をそっと乗せる。
だめだ、なにも言葉が浮かばない。前回と違って、なぞった指の下から言葉が紡がれない。

“ましてや影魔とかエクリプスとか、俺の手に負えたもんじゃない”

そうこうしているうちに新しい文字列が刻まれる。エクリプス…!? この文字列はエクリプスのことを知っているらしい。この文字列から感じる後悔や絶望は、エクリプスによるもの…?

“教えてほしい、あなたになにがあったの?”
“影魔やエクリプスと戦っているの…?”

5-2.具合はどうだ

心羽は知らない建物の中で目を覚ます。白い壁、白い天井、白いベッド…。見慣れない風景。また別の場所に飛ばされた…? これまでの状況を回想する。エクリプスのウェルトと出会って、戦って…イジェンドを守ろうとして、やられて、脚がすごく痛くて、視界がぼやけて…。最後に、誰かが助けてくれたような…。そこから先が思い出せない。そこで死んでしまった? だとしたら、今の状況は…?
そうだ、脚が痛い。ふと思えば、やられた右脚を今も痛みが襲っている。患部は器具で固定され、下手に動かそうとすると激痛が走る。
「いぃぃったぃ……」
思わず漏れた声に反応して、イジェンドが部屋の奥から顔を覗かせる。
「意識が戻ったか。具合はどうだ」
「イジェンド! よかった、生きてたんだぁ…!」
見知った顔が目の前に現れ、思った以上に安堵する心羽。あの時、とっさに庇ったのは無駄じゃなかった…。
「さっきの戦闘、大丈夫だった? 怪我はない?」
心羽から心配され、イジェンドは呆れ顔になる。
「それはこっちのセリフだ、まずは自分の身を案じろ。お前、5時間も気絶してたんだぞ」
「ご、5時間……。私が気絶してる間、何があったの?」
イジェンドはシエルが3人まとめて助けてくれたこと、病院に連れてきて適切な処方を受けさせてくれたことを伝えた。
「そっか、骨折で2週間入院…。」
でも、他のみんなに重傷がなかっただけまだいい方だ。ウェルトというエクリプスに片手ではらわれただけで、列車に突き飛ばされたかのような衝撃だった。骨折で済んだのは、もしかしたら運がよかっただけかもしれない。
そういえば、イジェンドはウェルトの攻撃を1度受けているはず。軽傷らしいけど、安静にしてなくて大丈夫かな…。
「ねえ、イジェンドは平気だったの?」
「何のことだ」
奥にいるイジェンドはカップにお湯を注いでいる手を止めずに一言で返す。
「イジェンドも食らってたよね?ウェルトの攻撃、凄く痛かったから…」
「あの程度、どうということはない」
イジェンドの声色、表情はいつもと同じだ。本当にイジェンドにとっては大したことないものなの…?
イジェンドは湯気の出るカップを心羽の前に持ってくる。
「ココアだ。飲むか」
「これ私に…!? ありがとう!」
心羽はカップを受け取る。温かい…。
この温もりは、指先から感じる物理的な温かさだけじゃない。
イジェンドは、私が気絶していた5時間もの間…。
「ねえ、ずっとここで…看病してくれてたの?」
イジェンドは少しバツの悪そうな顔をする。
「……そういう契約だ。情報屋とのな」
情報屋…シエルとの契約?看病することが…?
よくわからないけれど、イジェンドがくれたこの温もりは、信じてみたいと思えた。
「ありがとう、イジェンド!」
「…ふん」

「それと……心羽には言わなきゃならないことがある」
「ん…? なに?」
「すまなかった」
「えっと、どうしたの…?」
突然の謝罪に、心羽は困惑を隠せない。
「ウェルトと交戦したあの時、俺を庇わなければ心羽は骨折せずに済んだはずだ。」
イジェンドの表情が苦しそうに歪む。
「そんな、イジェンドが謝ることじゃ…」
もしかしたらイジェンドはそのことに罪悪感があって、だからここで看病してくれてるのかな。
「だが…」
「イジェンドを守りたかったのは私だよ。私が望んでやったことで、だからイジェンドに大きな怪我がなくて済んでる今は、私の理想の未来だよ」
それを聞いたイジェンドはハッとしたのち、少し表情が柔らかくなった。
「…あくまで自分で背負った責任だと、そう言いたいんだな?」
「そういうこと。だから、イジェンドが気にする事はないよ」
「やっぱり、変わった奴だ」
出会った時と同じセリフ。でも、その心持ちはあの時よりポジティブになったように感じた。

5-3.昔話に付き合ってくれるか

とっくに日は暮れ、夕食は病院食が2人分並んで用意された。
「2人分?イジェンドもここで食べるの?」
「邪魔だったか。」
「ううん、その方が寂しくない。ありがとう」
スプーンと食器のあたる金属音が部屋に響く。
「イジェンドってこの辺に住んでるの?」
「借家をひとつ借りているが、あまり帰ることはない」
「家族とかは…?」
「いない。」
イジェンドの顔が少しだけ曇ったような気がした。
「そっか…。」
だからかな、孤独の寂しさを知っているような言動をたまに見せるのは。
「………もしかして10年前に…」
言いかけてハッとした。こんなことを言っちゃいけない。相手のプライベートにずけずけと踏み込もうとするのは私の悪い癖だ。そんなことをしたら、待ち受けているのは拒絶と別れ、そして孤独の痛みだけ。対人関係において、言ってはいけないことというのは往々にしてあるもの。
「ごめん!今のは忘れて…」
「そうだ。10年前、俺は家族を失った」
「えっ」
隠したり濁したりせず、話してくれたことに驚く。
この前、イジェンドの炎は暴走することがあると言っていた。それで守りたい人も失ったと。そして今日の家族がいないという発言。10年前に何かあったであろうこともウェルトの会話から匂わせていた。恐らくはその“呪い”とも称する炎が、家族を…。
「ねえ、イジェンド………あなた、自分の手で………」
自分の力で家族を殺してしまったのだとしたら……。想像を絶する哀しみが心羽の胸を満たす。
「そんなに悲しいことってある……?」
涙声になった心羽を見て、イジェンドは察されたことに気付く。
「勝手に誤解するな、俺が家族を殺したわけじゃない。」
「え、じゃあどうして……」
「話すと長くなるが」
「それでも聞きたい」
イジェンドの過去。炎の呪い。孤独の寂しさ。イジェンドの優しさ。その全ての理由が、10年前に詰まっていると、そんな気がしてならない。それに、エイミーの言う炎の魔女のことも。
「教えてほしい、何があったのか」
…あれ?このセリフ、どこかで言ったような…。
「昔話に付き合ってくれるか。」

5-4.黒ずんだ左腕

小さかった頃は剣術家の父と温厚な母、そして左手が黒ずんだ小さな妹がいた。俺には先天的に触れたものを燃焼させる 力があったが、血統との因果関係は不明だ。
物心ついた頃には既に燃焼の能力を持っていた。中でも木の枝を燃やした時の小さな篝火はとても綺麗で、幼かった俺はさらに小さな妹にそれを見せてやろうと思った。
妹に燃える木の枝をのぞけたら、妹はその火を左手で触ろうとした。途端に妹の左手は炎に包まれたんだ。当たり前のことだと思うかもしれないが、まだ子供だった当時の俺にはそこまで考えが及ばなかった。ぎゃあと泣き叫ぶ妹を見てはじめて自分が失態を犯したことに気付いた。燃焼には痛みが伴うということも、この時までは知らなかった。
普通のやけどなら時間の流れと共に少しずつ治るものらしいが、あれから数年経った今でも妹の左手の火傷痕は残り続けている。
俺はあれ以来、家族の前では燃焼の能力を使わないように心がけた。この力は決して炎を操れる能力などではない。ただ触れたものを燃やすだけの力だ。ひとたびこの手から放たれてしまえば瞬く間に燃え広がり、制御はできない。
火傷を負いながらも妹は健気に成長した。しかし、黒ずんだ左手は度々からかいの的になった。妹をからかわれることは俺にとって屈辱だった。妹は何も悪くない、妹を馬鹿にする権利など誰も持っていない………。
ある時、妹は泣きながら帰ってきた。左手だけでなく、着ていた服の裾にも焼け焦げた跡があった。何があったか聞いても妹は答えなかったが、妹は学舎で孤立しているらしいため嫌な予感がしていた。
それから3日後のことだ。学舎の裏でたまたま、妹がいじめられているのを目撃した。一方の男子が妹を押さえつけ、もう一方の男子がマッチに火をつけて妹に近づけ、怖がる様子を愉しんでいた。それを見た途端、俺の中でむご苦しい何かが溢れ出し、どよめく気持ち悪さに全てを支配された。
正気に戻った時には焦げた死体がふたつ、惨めに転がっていた。さっきまで妹を虐めていたクソガキを2人、この手で殺したことは確かに覚えていた。妹がいる前で火を使ったことを思わず後悔した。すかさず妹が無事であることを確認したが、その表情は先程にも増して蒼白になっていた。
「お兄ちゃん……殺しちゃダメだよ……」
その深刻そうな表情に、何かまずいことをしてしまったのではないかと焦るが、その理由が人殺しだとは全く思わなかった。翌朝にはその表情の理由が明らかになった。
殺したうちの片方がどうやら町長の息子だったらしく、我が家には怪物の子がいるだの、関わると祟られるだの、不気味な噂が瞬く間に広まった。両親も急に忙しくなり、帰った時には疲れ果てている様子だった。世間から散々恐れられた俺は学舎から通学拒否され、妹も今以上に孤立してしまったため、お互い家にこもり、妹は母から勉学を、俺は父から剣術を教わった。
「大丈夫だイジェンド…お父ちゃんが絶対、お前たちを守ってやるからな」
噂のせいで父の剣術道場からは俺以外誰も来なくなり、収入源を失った両親は必死に職を探していたが誰にも雇ってはもらえず、毎日の食事も着る服も次第に貧相になっていった。さらに街の人々が夜な夜な家の前にやってきては罵詈雑言を叫ばれたり、ゴミを投げ入れられたり、塀を破壊されたりと嫌がらせが止まらなくなった。

妹は絶対に悪くない。悪いのは妹を虐めたあいつらとそれを信じるクズな大人たちだ。だったら俺はそのクズたちを全部殺してやる。
翌朝、俺は町長の屋敷の前で宣言した。
「おい町長。お前のガキが俺の妹にした悪事を認めず、噂話で俺の家族を悪者に仕立て上げようとするなら、加担する奴らもろとも全員つぶしてやる。出てこい!」
すぐに警備の者たちがやってきた。なんでもいい、町長の味方は全員殺す。町長の屋敷に乗り込み、そこにいた奴らを片っ端から片付けたが、町長の姿は見当たらなかった。
諦めて家に戻ると、家族がみんないるはずの我が家が炎に包まれていた。町長による放火だと気付くのにそう時間はかからなかった。中にいた父と母と妹をすぐに助け出したが全員火傷で重症を負っており、手当をしてくれる医師もおらず、何もできなかった俺は目の前で家族が死んでいくのをただ見守るしかできなかった。
3人を埋葬すると、俺はこの街と関わることをやめ、1人で生きていく決意をした。当時俺はまだ11歳、妹は7歳だった。

5-5.力で守れるものなど

「そんなの酷すぎるよ…!だって、妹さんは何も悪くないのに!」
イジェンドの過去を知り、その理不尽を涙ながらに訴える心羽。イジェンドの瞳はどこか遠くに向けられ、その表情には儚さが宿る。
「俺にあるのは“力”だけだ。“力”で守れるものなど、たかが知れている。」
「イジェンド……」
力が強くとも、できるのは加害だけ……一番守りたいものを守れない力など、イジェンドにとってはなんの価値もないのだろう。
でもそれなら、どうして私を助けたりしたのだろう? イジェンドの優しさの理由がわからない。

それと、わかったこともいくつかある。
イジェンドのいう暴走とは、炎が燃え広がることを指しているのではないか。人を傷つけるリスクはたしかにあるけど、暴走と呼べるほど深刻なものではない気もする。
また、呪いという呼び方もイジェンドが辿った経緯からそう呼んでいるだけで、実際にはエイミーや私と同じカルナの類いだろう。
そして、イジェンドが行ったのは町長とその取り巻きの人達を殺したこと。火災を起こしたのはイジェンドではなくどちらかといえば町長の方で、それも村全体を飲み込むような大火災ではない。それに魔物の話も出てこない=炎の魔女の逸話とは大きく食い違う。やっぱりイジェンドは炎の魔女ではない。そのことをエイミーに伝えないと。

5-6.どこへ行ってしまったんだ

なるほどね。有益な手がかりはない…か。
500年前までは頻繁に活動していたというのに、ここ500年は音沙汰がない。10年前に起きたとされる大火災も、名前こそ挙がれど情報の出処はかなり信憑性に欠けている。
一体どこへ行ってしまったんだ、ボクの“手がかり”……

シエルは2人の会話を屋根に乗って聴いていたが、炎の魔女に関する情報が出なかったことを確かめると、静かにその場を立ち去った。

END

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