モルの手記⑥(没) version 1

2021/08/17 19:08 by sagitta_luminis sagitta_luminis
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心羽の日記⑥
「……やっぱりね。アナタ、耀夜の国の王女でしょう?」
突然、背後から聞こえたその声に心羽は戦慄する。
「誰!?」
即座に振り向き、飛び退いて臨戦態勢をとる。心羽の異常な警戒心を見て、隣にいた剣人も戦闘態勢に入る。
…しかし、そこに声の主の姿はなかった。
「どこにいるの!?」
辺りを見回しても、その姿は捉えられない。
「アラアラ、そんなに警戒しなくても。アナタのすぐ後ろに居るわよ」
声は心羽の耳元で囁く。心羽が驚いて振り向こうとする僅かな合間に、白銀を纏った剣人=リーンが“加速”をかけ、声の主を刀で捉えた。
「……何者だ」
リーンの鋭く光る刃の切っ先にあったのは、黒い光沢の肌を持つエクリプス。手には細身の鎌を携え、紫色の双眸としなやかな尾を持ち、一般的なエクリプスよりは些か小柄に見える。
「さすが、お疾いのね。噂どおりだわ」
エクリプスは首筋に向けられた刃を鎌の柄で受け、寸でのところで止めていた。
「でも今日は戦いにきたわけじゃないの。その物騒な得物は下ろしてくれる?」
そのエクリプスは刃を跳ね飛ばし、鎌を下ろして両手をはたいた。
「じゃあなにしに来たの。あなたがその気じゃなくても、街の人に危害を加えるようなら私は戦うよ」
紅いドレスに身を包んだ心羽=リュミエは警戒の目を緩めない。
「血気盛んねぇ。危害を加えるつもりなんてないわ。今日はひとつ、取引をしに来たのよ」
「取引?」
「そう。その赤い髪のアナタにね」
そう言ってエクリプスは歪に尖った指先をリュミエに突き立てる。
「私に…?」
リュミエは身に覚えがない、と言わんばかりに顔をしかめる。
「情報の交換よ。アナタも知りたがってたじゃない。」

「“……耀夜の国が、どうなったか”」

———それは喉から手が出るほど欲しい情報だった。避難という形でルクスカーデンを離れてからもう4年が経過したが未だ迎えは来ず、それよりも早く避難先の地球にまでエクリプスの手が及び始めていた。
しかし、そんなことになったのはそもそもエクリプスのせいであり、そのエクリプスから得られる情報にはなんの価値もなかった。
「…そんなの、聞く必要ない。」
リュミエは毅然とした態度で答える。
「あら。知らなくてもいいのぉ?」
「知ってる。ルクスカーデンは滅んでない」
「あっそう。どうしてそう言い切れるのかしら?」
リュミエは父のエドウィン王に絶対の信頼を置いていた。戦争に出向く直前、必ず生きて帰ると言われた言葉を信じ続けていた。リュミエにとって父は希望の星であり、リュミエの強固な意志を形作った張本人でもあった。
そんなお父様が、負けるはずがない。今でもきっと戦い続けていて、それゆえに迎えに来れないだけだ。ルクスカーデンは、今も安全に決まっている。
「あの国はお父様が…エドウィン王が絶対に守り抜く。私たちが希望を捨てなければ、お父様は何度だって立ち上がる。お父様がいる限りルクスカーデンは絶対に負けない」
強い口調で言い張るリュミエの様子を見て、エクリプスはため息をつく。
「はぁ…呆れた。まだそんなふうに考えてたの?そのお父様とやら、4年も貴方を迎えに来なかったんでしょう?」
「4年間、あなた達と戦い続けてるだけよ」
リュミエの揺るぎない真っ直ぐな希望の眼差しを受けて、エクリプスはむず痒そうな表情をする。
「見ててイタいから教えてあげるわ。ルクスカーデンはとっくに滅んだし、エドウィン王は死んだわ」
「……あなたの言うことは信じない」
リュミエは一瞬ショックをうけたが、表情には出さなかった。
「アタシが殺したのよ?アナタのママもパパも小さな弟くんもみーんな」
嘘だ。そんなはずはない。お父様が負けるはずがない。
信じたくない気持ちと、家族への侮辱に対する怒りが混ざりあって腕に力が入る。
「適当なことを言わないで!」
既にリュミエの右手には錬成された光の剣が握られ、いつでも攻撃できる体勢になっていた。
「惨めだったわぁ。弟くんなんかわぁわぁ泣き叫んで。アナタに助けを求めながら無力な赤ん坊のように…」
「やめて!!」
怒りのこもった号哭と共に光の斬撃が閃く。しかしそれは一瞬前までエクリプスがいたはずの虚空を素振りしていた。
「アラ。当たると思って?」
エクリプスの声はまたも背後から聞こえた。
「わたしの大切な家族を、そんな嘘で侮辱しないで!」
すかさず振り向きざまに薙いだ一閃はまたも虚空を過った。
「まだ嘘だと思ってんの?コレをみればほんとだって認める?」
リュミエの眼前に現れたエクリプスは、翡翠のネックレスを掲げてみせた。
それを双眸で捉えた瞬間、覆しようのない圧倒的な絶望の黒閃が心の中を貫き、リュミエを支えていた最後の希望の灯火を打ち砕いていった。
「それは……お父様に………」
瞳のハイライトが消失し、膝から崩れ落ちる。その声に先程までの威勢はなく、震えていた。
「アナタのお父様とやらが身に付けてたものよ。死ぬ直前まで手放さないから怪しいと思って持ち帰ったけど、ただのネックレスだったわぁ」
あのネックレスは10回目の結婚記念日…私が8歳のときに、お父様に贈ったプレゼント。得意だった熱の魔法でプラチナを加工し、エメラルドの宝石をはめ込んだ手作りのネックレス。お父様はとっても喜んで、それからはいつでも欠かさず身につけていた。この世にふたつと無いネックレス。見間違えるはずがなかった。
「王の最期も呆気なかったわぁ。片腕を切り落とされても、腹を刺し貫かれてもこのネックレスだけは必死に守ろうとして。何がそんなに大切だったのかしらねぇ?」
エクリプスは嘲るように翡翠のネックレスを投げ捨てる。あれだけお父様が肌身離さず首にかけていたネックレスが、今あるべきお父様の首元を離れ、赤茶けた石畳の上に転がっている。それはすなわち、お父様の死を意味していた。
「そん…な……」
目は見開かれ、表情は苦悶に歪む。
一番大切な心の核に大穴が開き、そこへ喪失感と絶望の大波がなだれこむ。
“もう取り返しがつかない”
瞬間、全てを喪ったような孤独に襲われる。お父様の死は家族や親戚の皆、ひいてはルクスカーデンの国民全てを喪失したことを意味する。リュミエを産み育てた人も、リュミエが学び育った国も、全て。ただ一人、私だけをこの世界に残して。
2年前に感じた孤独を遥かに上回る切なさと、もう二度と元の幸せは取り戻せないという痛烈な現実、そして故郷を失い帰る場所と心の拠り所の両方を失った悲しみに打ちひしがれる。
「イイ顔するじゃない。苦悶に歪んでてステキよぉ?」
エクリプスは投げ捨てた翡翠のネックレスをもう一度取りに行く。この赤毛を絶望の底に突き落としてやりたい。きっとそれは最高のデザート…
「このネックレスはアナタにとっても大切なものでしょう?壊してあげる♪」
そう言ってリュミエの方を見やる。両手をついてうなだれていたリュミエが顔をあげ、涙に濡れた目でこちらを視るのを確認すると、わざとらしく鎌を大きく振りかぶり、ネックレスに地面ごと抉る勢いで振り下ろした。
次の瞬間、ガキンッという鈍い音と共に鎌が手を離れ、宙を舞っていた。
「———!?」
地面に傷はなく、ネックレスも埃を被っただけだった。
「邪魔をしないでよ、白鴉」
あの一瞬の間にリーンが鎌とネックレスとの間に入り込み、洗練された一撃で鎌を弾き飛ばしていた。“加速”を使われた…しかし、エクリプスはその動きを目で追えていた。
「……それ以上、あの子から奪うな」
加速を解いたリーンが静かに、かつ強い口調で言った。
口数は少ないが、その言葉からは煮えたぎる怒りを確かに感じた。
「ふぅん…?あっそう。じゃあ先にアナタの命から奪ってあげるわぁ」
そう言うとエクリプスは下半身を靱やかな豹の形状に変化させ、前脚を地に付けて臨戦態勢に入る。
「ほざけ。死ぬのは貴様だ」
リーンは刀を構え、“加速”をはじめた。
      

「……やっぱりね。アナタ、耀夜の国の王女でしょう?」
突然、背後から聞こえたその声に心羽は戦慄する。
「誰!?」
即座に振り向き、飛び退いて臨戦態勢をとる。心羽の異常な警戒心を見て、隣にいた剣人も戦闘態勢に入る。
…しかし、そこに声の主の姿はなかった。
「どこにいるの!?」
辺りを見回しても、その姿は捉えられない。
「アラアラ、そんなに警戒しなくても。アナタのすぐ後ろに居るわよ」
声は心羽の耳元で囁く。心羽が驚いて振り向こうとする僅かな合間に、白銀を纏った剣人=リーンが“加速”をかけ、声の主を刀で捉えた。
「……何者だ」
リーンの鋭く光る刃の切っ先にあったのは、黒い光沢の肌を持つエクリプス。手には細身の鎌を携え、紫色の双眸としなやかな尾を持ち、一般的なエクリプスよりは些か小柄に見える。
「さすが、お疾いのね。噂どおりだわ」
エクリプスは首筋に向けられた刃を鎌の柄で受け、寸でのところで止めていた。
「でも今日は戦いにきたわけじゃないの。その物騒な得物は下ろしてくれる?」
そのエクリプスは刃を跳ね飛ばし、鎌を下ろして両手をはたいた。
「じゃあなにしに来たの。あなたがその気じゃなくても、街の人に危害を加えるようなら私は戦うよ」
紅いドレスに身を包んだ心羽=リュミエは警戒の目を緩めない。
「血気盛んねぇ。危害を加えるつもりなんてないわ。今日はひとつ、取引をしに来たのよ」
「取引?」
「そう。その赤い髪のアナタにね」
そう言ってエクリプスは歪に尖った指先をリュミエに突き立てる。
「私に…?」
リュミエは身に覚えがない、と言わんばかりに顔をしかめる。
「情報の交換よ。アナタも知りたがってたじゃない。」

「“……耀夜の国が、どうなったか”」

———それは喉から手が出るほど欲しい情報だった。避難という形でルクスカーデンを離れてからもう4年が経過したが未だ迎えは来ず、それよりも早く避難先の地球にまでエクリプスの手が及び始めていた。
しかし、そんなことになったのはそもそもエクリプスのせいであり、そのエクリプスから得られる情報にはなんの価値もなかった。
「…そんなの、聞く必要ない。」
リュミエは毅然とした態度で答える。
「あら。知らなくてもいいのぉ?」
「知ってる。ルクスカーデンは滅んでない」
「あっそう。どうしてそう言い切れるのかしら?」
リュミエは父のエドウィン王に絶対の信頼を置いていた。戦争に出向く直前、必ず生きて帰ると言われた言葉を信じ続けていた。リュミエにとって父は希望の星であり、リュミエの強固な意志を形作った張本人でもあった。
そんなお父様が、負けるはずがない。今でもきっと戦い続けていて、それゆえに迎えに来れないだけだ。ルクスカーデンは、今も安全に決まっている。
「あの国はお父様が…エドウィン王が絶対に守り抜く。私たちが希望を捨てなければ、お父様は何度だって立ち上がる。お父様がいる限りルクスカーデンは絶対に負けない」
強い口調で言い張るリュミエの様子を見て、エクリプスはため息をつく。
「はぁ…呆れた。まだそんなふうに考えてたの?そのお父様とやら、4年も貴方を迎えに来なかったんでしょう?」
「4年間、あなた達と戦い続けてるだけよ」
リュミエの揺るぎない真っ直ぐな希望の眼差しを受けて、エクリプスはむず痒そうな表情をする。
「見ててイタいから教えてあげるわ。ルクスカーデンはとっくに滅んだし、エドウィン王は死んだわ」
「……あなたの言うことは信じない」
リュミエは一瞬ショックをうけたが、表情には出さなかった。
「アタシが殺したのよ?アナタのママもパパも小さな弟くんもみーんな」
嘘だ。そんなはずはない。お父様が負けるはずがない。
信じたくない気持ちと、家族への侮辱に対する怒りが混ざりあって腕に力が入る。
「適当なことを言わないで!」
既にリュミエの右手には錬成された光の剣が握られ、いつでも攻撃できる体勢になっていた。
「惨めだったわぁ。弟くんなんかわぁわぁ泣き叫んで。アナタに助けを求めながら無力な赤ん坊のように…」
「やめて!!」
怒りのこもった号哭と共に光の斬撃が閃く。しかしそれは一瞬前までエクリプスがいたはずの虚空を素振りしていた。
「アラ。当たると思って?」
エクリプスの声はまたも背後から聞こえた。
「わたしの大切な家族を、そんな嘘で侮辱しないで!」
すかさず振り向きざまに薙いだ一閃はまたも虚空を過った。
「まだ嘘だと思ってんの?コレをみればほんとだって認める?」
リュミエの眼前に現れたエクリプスは、翡翠のネックレスを掲げてみせた。
それを双眸で捉えた瞬間、覆しようのない圧倒的な絶望の黒閃が心の中を貫き、リュミエを支えていた最後の希望の灯火を打ち砕いていった。
「それは……お父様に………」
瞳のハイライトが消失し、膝から崩れ落ちる。その声に先程までの威勢はなく、震えていた。
「アナタのお父様とやらが身に付けてたものよ。死ぬ直前まで手放さないから怪しいと思って持ち帰ったけど、ただのネックレスだったわぁ」
あのネックレスは10回目の結婚記念日…私が8歳のときに、お父様に贈ったプレゼント。得意だった熱の魔法でプラチナを加工し、エメラルドの宝石をはめ込んだ手作りのネックレス。お父様はとっても喜んで、それからはいつでも欠かさず身につけていた。この世にふたつと無いネックレス。見間違えるはずがなかった。
「王の最期も呆気なかったわぁ。片腕を切り落とされても、腹を刺し貫かれてもこのネックレスだけは必死に守ろうとして。何がそんなに大切だったのかしらねぇ?」
エクリプスは嘲るように翡翠のネックレスを投げ捨てる。あれだけお父様が肌身離さず首にかけていたネックレスが、今あるべきお父様の首元を離れ、赤茶けた石畳の上に転がっている。それはすなわち、お父様の死を意味していた。
「そん…な……」
目は見開かれ、表情は苦悶に歪む。
一番大切な心の核に大穴が開き、そこへ喪失感と絶望の大波がなだれこむ。
“もう取り返しがつかない”
瞬間、全てを喪ったような孤独に襲われる。お父様の死は家族や親戚の皆、ひいてはルクスカーデンの国民全てを喪失したことを意味する。リュミエを産み育てた人も、リュミエが学び育った国も、全て。ただ一人、私だけをこの世界に残して。
2年前に感じた孤独を遥かに上回る切なさと、もう二度と元の幸せは取り戻せないという痛烈な現実、そして故郷を失い帰る場所と心の拠り所の両方を失った悲しみに打ちひしがれる。
「イイ顔するじゃない。苦悶に歪んでてステキよぉ?」
エクリプスは投げ捨てた翡翠のネックレスをもう一度取りに行く。この赤毛を絶望の底に突き落としてやりたい。きっとそれは最高のデザート…
「このネックレスはアナタにとっても大切なものでしょう?壊してあげる♪」
そう言ってリュミエの方を見やる。両手をついてうなだれていたリュミエが顔をあげ、涙に濡れた目でこちらを視るのを確認すると、わざとらしく鎌を大きく振りかぶり、ネックレスに地面ごと抉る勢いで振り下ろした。
次の瞬間、ガキンッという鈍い音と共に鎌が手を離れ、宙を舞っていた。
「———!?」
地面に傷はなく、ネックレスも埃を被っただけだった。
「邪魔をしないでよ、白鴉」
あの一瞬の間にリーンが鎌とネックレスとの間に入り込み、洗練された一撃で鎌を弾き飛ばしていた。“加速”を使われた…しかし、エクリプスはその動きを目で追えていた。
「……それ以上、あの子から奪うな」
加速を解いたリーンが静かに、かつ強い口調で言った。
口数は少ないが、その言葉からは煮えたぎる怒りを確かに感じた。
「ふぅん…?あっそう。じゃあ先にアナタの命から奪ってあげるわぁ」
そう言うとエクリプスは下半身を靱やかな豹の形状に変化させ、前脚を地に付けて臨戦態勢に入る。
「ほざけ。死ぬのは貴様だ」
リーンは刀を構え、“加速”をはじめた。