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モルの手記⑥(没)
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「……やっぱりね。アナタ、耀夜の国の王女でしょう?」 突然、背後から聞こえたその声に心羽は戦慄する。 「誰!?」 即座に振り向き、飛び退いて臨戦態勢をとる。心羽の異常な警戒心を見て、隣にいた剣人も戦闘態勢に入る。 …しかし、そこに声の主の姿はなかった。 「どこにいるの!?」 辺りを見回しても、その姿は捉えられない。 「アラアラ、そんなに警戒しなくても。アナタのすぐ後ろに居るわよ」 声は心羽の耳元で囁く。心羽が驚いて振り向こうとする僅かな合間に、白銀を纏った剣人=リーンが“加速”をかけ、声の主を刀で捉えた。 「……何者だ」 リーンの鋭く光る刃の切っ先にあったのは、黒い光沢の肌を持つエクリプス。手には細身の鎌を携え、紫色の双眸としなやかな尾を持ち、一般的なエクリプスよりは些か小柄に見える。 「さすが、お疾いのね。噂どおりだわ」 エクリプスは首筋に向けられた刃を鎌の柄で受け、寸でのところで止めていた。 「でも今日は戦いにきたわけじゃないの。その物騒な得物は下ろしてくれる?」 そのエクリプスは刃を跳ね飛ばし、鎌を下ろして両手をはたいた。 「じゃあなにしに来たの。あなたがその気じゃなくても、街の人に危害を加えるようなら私は戦うよ」 紅いドレスに身を包んだ心羽=リュミエは警戒の目を緩めない。 「血気盛んねぇ。危害を加えるつもりなんてないわ。今日はひとつ、取引をしに来たのよ」 「取引?」 「そう。その赤い髪のアナタにね」 そう言ってエクリプスは歪に尖った指先をリュミエに突き立てる。 「私に…?」 リュミエは身に覚えがない、と言わんばかりに顔をしかめる。 「情報の交換よ。アナタも知りたがってたじゃない。」 「“……耀夜の国が、どうなったか”」 ———それは喉から手が出るほど欲しい情報だった。避難という形でルクスカーデンを離れてからもう4年が経過したが未だ迎えは来ず、それよりも早く避難先の地球にまでエクリプスの手が及び始めていた。 しかし、そんなことになったのはそもそもエクリプスのせいであり、そのエクリプスから得られる情報にはなんの価値もなかった。 「…そんなの、聞く必要ない。」 リュミエは毅然とした態度で答える。 「あら。知らなくてもいいのぉ?」 「知ってる。ルクスカーデンは滅んでない」 「あっそう。どうしてそう言い切れるのかしら?」 リュミエは父のエドウィン王に絶対の信頼を置いていた。戦争に出向く直前、必ず生きて帰ると言われた言葉を信じ続けていた。リュミエにとって父は希望の星であり、リュミエの強固な意志を形作った張本人でもあった。 そんなお父様が、負けるはずがない。今でもきっと戦い続けていて、それゆえに迎えに来れないだけだ。ルクスカーデンは、今も安全に決まっている。 「あの国はお父様が…エドウィン王が絶対に守り抜く。私たちが希望を捨てなければ、お父様は何度だって立ち上がる。お父様がいる限りルクスカーデンは絶対に負けない」 強い口調で言い張るリュミエの様子を見て、エクリプスはため息をつく。 「はぁ…呆れた。まだそんなふうに考えてたの?そのお父様とやら、4年も貴方を迎えに来なかったんでしょう?」 「4年間、あなた達と戦い続けてるだけよ」 リュミエの揺るぎない真っ直ぐな希望の眼差しを受けて、エクリプスはむず痒そうな表情をする。 「見ててイタいから教えてあげるわ。ルクスカーデンはとっくに滅んだし、エドウィン王は死んだわ」 「……あなたの言うことは信じない」 リュミエは一瞬ショックをうけたが、表情には出さなかった。 「アタシが殺したのよ?アナタのママもパパも小さな弟くんもみーんな」 嘘だ。そんなはずはない。お父様が負けるはずがない。 信じたくない気持ちと、家族への侮辱に対する怒りが混ざりあって腕に力が入る。 「適当なことを言わないで!」 既にリュミエの右手には錬成された光の剣が握られ、いつでも攻撃できる体勢になっていた。 「惨めだったわぁ。弟くんなんかわぁわぁ泣き叫んで。アナタに助けを求めながら無力な赤ん坊のように…」 「やめて!!」 怒りのこもった号哭と共に光の斬撃が閃く。しかしそれは一瞬前までエクリプスがいたはずの虚空を素振りしていた。 「アラ。当たると思って?」 エクリプスの声はまたも背後から聞こえた。 「わたしの大切な家族を、そんな嘘で侮辱しないで!」 すかさず振り向きざまに薙いだ一閃はまたも虚空を過った。 「まだ嘘だと思ってんの?コレをみればほんとだって認める?」 リュミエの眼前に現れたエクリプスは、翡翠のネックレスを掲げてみせた。 それを双眸で捉えた瞬間、覆しようのない圧倒的な絶望の黒閃が心の中を貫き、リュミエを支えていた最後の希望の灯火を打ち砕いていった。 「それは……お父様に………」 瞳のハイライトが消失し、膝から崩れ落ちる。その声に先程までの威勢はなく、震えていた。 「アナタのお父様とやらが身に付けてたものよ。死ぬ直前まで手放さないから怪しいと思って持ち帰ったけど、ただのネックレスだったわぁ」 あのネックレスは10回目の結婚記念日…私が8歳のときに、お父様に贈ったプレゼント。得意だった熱の魔法でプラチナを加工し、エメラルドの宝石をはめ込んだ手作りのネックレス。お父様はとっても喜んで、それからはいつでも欠かさず身につけていた。この世にふたつと無いネックレス。見間違えるはずがなかった。 「王の最期も呆気なかったわぁ。片腕を切り落とされても、腹を刺し貫かれてもこのネックレスだけは必死に守ろうとして。何がそんなに大切だったのかしらねぇ?」 エクリプスは嘲るように翡翠のネックレスを投げ捨てる。あれだけお父様が肌身離さず首にかけていたネックレスが、今あるべきお父様の首元を離れ、赤茶けた石畳の上に転がっている。それはすなわち、お父様の死を意味していた。 「そん…な……」 目は見開かれ、表情は苦悶に歪む。 一番大切な心の核に大穴が開き、そこへ喪失感と絶望の大波がなだれこむ。 “もう取り返しがつかない” 瞬間、全てを喪ったような孤独に襲われる。お父様の死は家族や親戚の皆、ひいてはルクスカーデンの国民全てを喪失したことを意味する。リュミエを産み育てた人も、リュミエが学び育った国も、全て。ただ一人、私だけをこの世界に残して。 2年前に感じた孤独を遥かに上回る切なさと、もう二度と元の幸せは取り戻せないという痛烈な現実、そして故郷を失い帰る場所と心の拠り所の両方を失った悲しみに打ちひしがれる。 「イイ顔するじゃない。苦悶に歪んでてステキよぉ?」 エクリプスは投げ捨てた翡翠のネックレスをもう一度取りに行く。この赤毛を絶望の底に突き落としてやりたい。きっとそれは最高のデザート… 「このネックレスはアナタにとっても大切なものでしょう?壊してあげる♪」 そう言ってリュミエの方を見やる。両手をついてうなだれていたリュミエが顔をあげ、涙に濡れた目でこちらを視るのを確認すると、わざとらしく鎌を大きく振りかぶり、ネックレスに地面ごと抉る勢いで振り下ろした。 次の瞬間、ガキンッという鈍い音と共に鎌が手を離れ、宙を舞っていた。 「———!?」 地面に傷はなく、ネックレスも埃を被っただけだった。 「邪魔をしないでよ、白鴉」 あの一瞬の間にリーンが鎌とネックレスとの間に入り込み、研ぎ澄まされた一撃で鎌を弾き飛ばしていた。“加速”を使われた…しかし、エクリプスはその動きを目で追えていた。 「……それ以上、あの子から奪うな」 加速を解いたリーンが静かに、かつ強い口調で言った。 口数は少ないが、その言葉からは煮えたぎる怒りを確かに感じた。 「ふぅん…?あっそう。じゃあ先にアナタの命から奪ってあげるわぁ」 そう言うとエクリプスは下半身を靱やかな豹の形状に変化させ、前脚を地につけて臨戦態勢に入る。 「ほざけ。死ぬのは貴様だ」 リーンは刀を構え、“加速”をはじめた。 瞬間、エクリプスが姿を消した。……そう思ったのも束の間、背後から迫る気配を察し、急転回で居合を放つ。その刃はエクリプスが握る鎌とぶつかって鍔迫り合いを起こした。“加速”をかけた攻撃であるにも関わらず、エクリプスはその動きに対応している…!押し切ろうと力を込めた次の瞬間、再びエクリプスは姿を消す。抑えるものがなくなった刀の一太刀が虚空を斬る。気配を探る前に、再び加速をかけて敵の動きを察知する。するとそこには四足歩行で駆けるエクリプスの姿があった。姿をくらます能力があると思っていたが、それは目に見えない速さで移動しているだけだった。“加速”があれば、追いつくことも不可能ではない。 刀と鎌とが火花を散らし合う剣戟の舞が始まった。瞬きの間に距離を取り、回り込み、一撃をいれる。この一連の動作を、お互いに迅雷の如く繰り出しては、衝突する。目にも止まらぬ足捌きが石畳の表面を削り、砂埃となって舞う。リーンは音速の鎌の動きを見切って腰で避け、捻った上半身から勢いにのせた一撃を振り下ろす。エクリプスは刃の軌道すれすれの角度からリーンの脇腹に飛び込み、鎧の隙間に爪を立てて駆け抜ける。 「ぐっ…!」 しまった…鎌の動きだけに集中していたため、エクリプスが爪を使ってくるのは想定外だった。 その呻き声を聞いたエクリプスがニヤリとわらう。 「アタシの勝ちね」 リーンは急加速で背後にターンしエクリプスに迫る。しかし脇腹を刺された痛みで上手く刀を振れない。乱れた刀の軌道はやすやすと避けられ、瞬時にエクリプスの反撃が飛んでくる。鎌の大振りな一撃はなんとか防げるものの、細身の身体を巧みに活かして繰り出される爪までは避けれずまたしても傷を負う。 「あらぁ?そんなもんかしら」 「まだだ…俺は貴様を許さない」 痛みを堪え、またも加速をかけるが軸のブレた攻撃は当たらず、為す術なく翻弄される。 「そんなのでアタシを倒せるとでも思ってるわけ?」 「黙れ…」 「お嬢さぁん?放っておいたらアナタの大切な人がまた一人死ぬわよぉ」 エクリプスはここぞとばかりにリュミエを煽る。 「ゔっ」 何か言い返してやろうとしたが、腹を拳で殴られて阻止されてしまった。あまりの痛みに膝をつくが、エクリプスに腕を持ち上げられて無理やり立たされる。 エクリプスはボロボロのリーンを引きずってリュミエの眼前に持っていき、見せびらかすように鎌の先をチラつかせる。 「お嬢さん、見てるかしらぁ?アタシがリーンも殺してしまうわよ」 エクリプスは尚もリュミエを煽る。さっきからコイツの行動全てが、リュミエを挑発することに繋がっている。以前から質の悪い異形だと思ってきたが、コイツには特に腹が立つ。 これ以上、リュミエをどうするつもりだ…。 引きずられた体勢のまま、痛みを堪えてエクリプスの脚の隙間からリュミエの様子を窺う。 ……そこに、弱々しく泣いているリュミエの姿はなかった。代わりにあったのは、憎悪と絶望の具現ともいうべき闇色の炎と、それに包まれた“リュミエの姿をした何者か”だった。状況から考えてこの何者かがリュミエで違いないのだろうが、長く一緒にいたリーンでさえもが一瞬リュミエだと認識できなくなるほどに、リュミエはおぞましく変貌していた。 炎の魔法は暴走すると聞かされていた。以前にも暴走をしたことはあったが、闇色の炎や漂うオーラは明らかに以前のものを逸脱している。これも暴走のひとつなのか…?一体、なんなんだ… ひとつわかるのは、豹がリュミエの両親を殺し、リュミエの感情を揺さぶって何かを企んでいるということだ。 そんなことは絶対に許さない。 エクリプスが油断している隙をついて加速をかけ、瞬きの間に短刀でエクリプスから鎌をもぎ取り、鎌の最も脆い部分を狙って斬り落とす。ふたつに折れた鎌がかん高い金属音を立てて石畳に落ちた。相手の武器を破壊したのだから、多少は戦いやすくなったはずだ。痛む腹を押さえて立ち上がり、刀を構え直す。 「…っく、アンタまだそんな力残してたのねぇ…ああ、アタシの大切な鎌がぁ…」 エクリプスはさも残念そうな口調だが、不完全だった上半身も豹の姿に変えながら完全に四足歩行の姿勢となり、鋭い双眸で弱点を探すかのようにリーンを睨みつける。 次の瞬間。豹を見失ったかと思えば、嵐のような轟音と共に多方から同時に衝撃を受け、気付くと地に横たわっていた。一瞬の出来事だった。リーンに反応する隙すら与える間もなく十数回に及ぶ攻撃が繰り出されていた。遅れて全身の痛みが襲ってくる。今の間に、襲われたのか…。二の腕、脇腹、太ももといった人間の急所の至るところに豹の爪跡が幾重にも刻みこまれ、そこから自分の血がどくどくと流れ出ている。 「アタシを怒らせるとこうなるの。いい勉強になった?」 貧血の時のように視界がふらつく。全身の感覚が麻痺し、もう身体を起こすことはできない。意識が朦朧としはじめ、リーンの思考を鈍らせる。このまま意識が薄れていけば死んでしまうことが直感でわかるが、それを止められない。 「……ぅ゙ゔぅ゙ぁ゙あ゙あ゙ア゙ァ゙ァ゙あ゙っ!!!!」 遠のく意識のなかで、最後に聞こえたのは親友の断末魔だった。 —————————————————————————————— ネーゲルから聞かされていた、あのお方の正体。 星の旅人の異名で知られ、強大な魔法力で銀河をもまたにかけて旅をする魔法使いの種族、“ボイジャー”の末裔。 ボイジャーと言えば、かのルクスカーデン王国を建国した初代王がボイジャーだったのは銀河では有名な話。 王国は4年前に滅亡したが、その元王女が今ここにいる。
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