0 4.提示と世間体 みんなに公開

「おお、花っちどしたーー」
「ハッサン、無事か?」
英道大学より数十メートル離れた街道。花森健人はスマートフォン越しに桧山初樹に早口で言った。息が未だ少し乱れる。
「え?ああ、こっちは特に何も」
「無事なんだな!?」
「ああ、大丈夫…どしたんだよ」
捲し立てるように必死に問う健人に、初樹は気圧されながらも応じた。健人は大きく息を吐き、「良かった」と零すとすぐに状況を伝えた。
「怪物関係の奴にまた襲われた」
「えっーー!」
「でもそいつ人間の男みたいな奴で、けど無茶苦茶強くて…そいつハッサンの存在も認知してる」
初樹が息を飲む音が聞こえる。そして直後にその声が、互いを案じる真剣で速いものへと変わった。
「マジかよ…わかった、そっち行く!今どこ?」
「待って、多分俺と合流しない方がいい」
「どうしてーー」
「奴の狙いは俺のブレスレットみたいだけど、奴はハッサンの存在をプレッシャーに使ってきた」
「…そういうことか」
卑劣だが効果的な手段を抜かりなく使ってくる。そんな手合いが敵となっている状況に、健人は言いながら戦慄する。気がつけばその声音も震えていた。
「ああ、近くにいたら危険かもしれない。でもハッサンも狙われてる」
「なら尚更合流しよう。抵抗の力としても、花っちの大切なものって意味でも、ブレスレットは渡せないだろ」
「でも二人の命に関わるし、ハッサンがーー」
その予想だにしなかった回答ーー初樹の即座の決断に、健人は胸の内を震わされる。しかしどちらも危険な事態であることは変わらない。或いはそれ故にかーー。
「いっそ力を持った花っちとの方が、安全だ。今もこうして退けて、話をしてるんだから」
そう言った初樹の言葉には肝が座ったものを感じざるを得ない。それに影響されてか健人も今は、腹を括った。
「…いいんだな?」
「ああ」
「わかった。今、中央区北西だよな?ハッサン。なら俺のバイト先の安場佐田で合流しよう。丁度大学との中間近くだ」
「わかった、すぐ行く」
そうして合流地点を打ち合わせ、通話を切った時には、健人は自身の前を睨み付けていた。

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安場佐田に先に着いたのは健人だった。その腹積もりとしては、先の沢村智輝に当たって事件の情報を集めること、そのために店長から名刺を拝借する必要があった。事件の情報を突破口とし、怪物達の動きを先読みして立ち回る。具体性はなく、希望的観測とさえ呼べない蜘蛛の糸。しかしそれを省みる余裕もない。このままじっとしていても、襲撃されるのを待つだけだ。そんなこと、冗談ではなかった。時間は16時13分。意を決して店の戸を開ける。そこにいたのはカウンターで話をしている佐田と沢村だった。
「あ…お疲れ様です、店長」
「花森、どうした。昼のシフトは入ってなかったろう」
「ええ、あの…」
意外な展開に健人は目を丸くして佐田と沢村を見る。そして二人の間のカウンターに光る、先の二つの銀のロケット。
「あ、そのロケット。お買い上げになるんですか?」
「ええ、まあ…何と言いますか、願掛けです」
そう言うと沢村は視線をロケットに落とす。そして会計を終えると、佐田に静かに礼を言った。
「ありがとうございます、ご主人。何を差し置いてでも、あの人を見つけます」
「大切な人なら、尚更です。幸運を」
そう返すと、佐田はロケットを丁寧に包装し、沢村へと手渡す。そのまま挨拶し、安場佐田を後にしようとした沢村の背に健人は声をかけた。
「待ってください、少しお話があるんです」
「えっーー」
「できれば、外でお話したいんですが」
驚く沢村をそのまま外に連れ出そうと、健人は彼を誘導する。だが佐田がすぐに口を挟んできた。
「花森、一体どうした。店やお客さんに関わることならーー」
「店長すみません、それはまた今度!」
「おい!」
そのまま健人は沢村と共に、そそくさと安場佐田を後にする。バタバタと去っていく若者二人のその様に、佐田の年老いた身体では追いつけなかった。
そして店に残された佐田は一人、ポツリとアルバイトへの杞憂を口にした。
「アイツ、首突っ込みすぎてないだろうな。おいーー」

「もしもし、ハッサン俺だ。ああ、例の彼氏さんに今当たれた。で、ちょっとその関係で合流地点を変更したい。安場佐田からちょい離れた公園、わかる?」
「あの、お話というのは何です?私も早く探すのに戻らないといけない」
初樹に電話する健人に、沢村が苛立って口を挟んだ。その様に健人は罪悪感を抱き、「すみませんホント」と即答すると、すぐに電話を切る。
「悪い、なんとか探してくれ。すぐ来てくれよ」
電話を切ると、沢村はすぐに問いを投げかけてきた。
「あなたは咲良のことを何か知っているのですか?もしそうなら、どうしてあの時ーー」
「僕も確信は持ててはなかったんです。今も、可能性レベルの話で…」
「どういう意味です?」
沢村に更に詰め寄られる。同時に健人は、自身の詰めの甘さを悟った。真壁咲良の事件と、怪物という非日常との関連を証明する術がない。初樹が何か掴んでいることにかけるより他はなかった。故に、今は可能性だけでも提示する。
「…真壁咲良さん捜索の掲示を、英道大学で見ました。彼女が最後に目撃されたのは、中央区北西ですよね?ーー」

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「随分と豪胆な手段を使う」
朝憬市中央区北西、商業区域の裏通り。その道を行くエヴルアに、向かい側からやってきた神父が言った。対するエヴルアはその言葉に耳を貸すことはなく、そのまま歩き去ろうとする。
「確かに事は急を要するが…手が必要かね?」
「俺の領分だと言ったはずだ」
「ならば一つ、本音を言おう」
エヴルアが言い放った言葉に返す形で、神父が銀のライフルを抜き、その背に向けた。それと同時に二者の周囲には霧が張り、足元は暗く淀んだ水面へとその景色を変えていく。
「前々から貴殿はどうにもーー信用ならない」
そう結んだ神父の語気は、静かな圧力を含んでいる。だがエヴルアはそれを一蹴し、嘲笑さえした。
「俺たちにそんな連帯があった方が驚きだ」
その様に神父も渇いた笑みを浮かべてみせる。空虚な嗤いが二つ、霧の中に響くも直後に神父は銃を撃った。それに反応したエヴルアが銀の銃弾を防ぐとほぼ同時に、互いの体躯が、凄まじい膂力で衝突する。
「馬鹿を言え。絶望しか持ち得ない我々が、そもそも信頼など」
「ああそうだなゾルドー、全くだ」
皮肉を交わしながら黒コート姿の男だったエヴルアは、山羊を思わせる装飾を纏った異形に、ゾルドーと呼ばれた神父姿の壮年は、蛇を思わせる体表と、巨大な尾を携えた異形にへと変わった。そして即座にエヴルアの携えた十字架を想起させる槍が、ゾルドーが繰り出す蛇の尾と激しく打ち合う。二者の動きに濁った水が跳ねていく。
「だが中でも貴殿は特にだよ、エヴルア。なぜイレギュラーに気取られるような真似をした!」
間髪入れずゾルドーが二丁の銀銃から弾を撃ち込み、猛りと共に言い放った。エヴルアは跳び退ってそれを避け、返す刀で槍の閃きを暗い光刃と飛ばす。
「おとなしく貴様らに踊らされるつもりもないだけよ!」
それと同時に吐き捨てた言葉に、光刃を躱したゾルドーが鼻を鳴らした。そのままエヴルアは距離を詰め、力を込めて槍を突き出す。
「"アレ"に"プロテクト"がかけられていることを、俺が知らないとでも思っていたか!」
激昂と共に繰り出された一撃。尾では間に合わず、またライフル二丁では防ぎきれない。体勢を崩したゾルドーに、闇色の焔を携えたエヴルアの掌底が迫る。しかしそれはゾルドーの身に突き立てられることはなく、その眼前で静止した。
「俺はあくまで慎重を期したまでよ。得体の知れぬものに、一度でカタをつけようなど、それこそ浅はかな真似をするつもりはない」
「そんな悠長さが、イレギュラーにも他の者にも通じるかーー」
その言葉をゾルドーが言い終わる前に、今度こそ掌底はその身に突き立てられた。
「抜かせ。どいつもこいつも、どうせ腸はアレを独占する我欲しかないだろうが」
響くうめき声を他所にエヴルアはそれだけ告げると、ゾルドーの身から手を引き抜いて変身を解く。
「醜い穢れどもが」
そう吐き捨て、エヴルアが踵を返した時には、周囲は裏通りの光景へと戻っていた。ゾルドーはその背を見遣り、しかし膝を着くこともない。身に受けた傷はすぐさま癒えていく。その様に虚ろな嘲笑を洩らした。
「貴様が怒り何を気取ろうが、猛ろうが…免れはせぬよ。所詮、我々の運命などーー」
その笑みに宿した皮肉は、エヴルアに届くこともなければ、誰に聞かれることもない。それ故にか、ゾルドーの笑みは直後にふっと消えていった。

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事が急転したのは16時50分。先の公園でのことだった。
「咲良がこの近辺で、その都市伝説に巻き込まれたと?」
「僕とさっき電話してた友人は、そう見ています」
中央北西にある公園。沢村と対峙する健人は彼を引き留めるべく、自身の持つ有用な情報を全て用いて、真壁咲良の事件と件の都市伝説との関連を示そうとしていた。しかしーー
「荒唐無稽だ。具体的な証明もない以上、そんな眉唾な話を聞かされたところで…!」
沢村の返答は無理もなかった。荒唐無稽。事実であるにも関わらず、自身でも未だそう感じざるを得ないのだ。まして完全な確証はない。沢村の状況を考えれば、まだ耳を傾けてくれている。
「お話がここまでなら、失礼します」
「待ってください、友人ならもっと上手く説明がーー」
「時間がない。私が"世間体を気にした"ために、咲良が死ぬかもしれないんです。そんな猶予はない!」
「世間体…それって」
沢村がその言葉を最後に立ち去ろうとした瞬間だった。健人のスマートフォンの着信音が鳴る。画面には桧山初樹からの着信が表示されていた。
「どうした、ハッサンまだかーー」
「花っち、その一帯は危ない!すぐ離れろ!」
「えっ…!」
「怪物がそっちに向かってる!」
電話越しの初樹が発する焦燥の言葉。その意味は、直後に異変として現れた。健人たちの周囲にいた親子連れや若者、通行人たちの雰囲気の中には、怪訝なものが混じっている。何かから距離を置いている。健人から距離を離していた沢村の動きも、その瞬間ピタリと止まっていた。健人はハッとして沢村に駆け寄り、その向こうを見る。そこには、美しいサクラの木を想起させる異形がいた。

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「怪物…何でここに!」
「花森さん、あれは…!」
沢村が現実となった荒唐無稽な存在を見て言った。
「さっき言った都市伝説関係です。ここは危ない、逃げないとーー」
その時、自分達から近くにいた男性がスマートフォンのカメラをサクラに向け、その姿を撮影する。それに反応したサクラがこちらを見遣り、そしてある一点をーー沢村の方を見つめた。いい迷惑だ。そのまま微動だにしないサクラによる、異様な程の注視の様に、一瞬こちらを見遣るも他方に向けて後ずさる男性。その背に向けて健人は心中で毒づいた。そして次の瞬間には、サクラがこちらに目掛けて駆け出してくる。
「走って!早く!」
健人が大声で沢村と周辺に言った。迫りくるサクラは、逃げ去ろうとする他の者には目もくれず、こちらーー健人の隣の沢村に向けて一気に迫ってきた。樹木の幹を腕から伸ばし、サクラは沢村を捉えんとする。しかしその時、変身した健人の剣が伸ばされた樹木を斬り捌いた。

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