はしがき version 7

2022/01/14 18:14 by ishikawashunji01
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#  はしがき
ここに書くのは私がこれまで生きてきたことでの出来事についてだ。私は高校卒業後、就職する。本当は進学するつもりだったがある失敗をしてしまい就職にした。成功、失敗など今までの人生という括りにしてみれば今回の就職についてもそのうちの一つでしかない。だが、それがきっかけで自分が成長できたと感じることもある。今回私の自分史を書き記すことで自分の過去を思い出しさらに成長出来ればいいと考えている。
#  生まれてから幼稚園を卒園
2003年5月11日に誕生。幼稚園の時、年長組の時にお遊戯会で披露する劇の練習では振り返ってみると今までの人生の中で、特にキツく思い出したくない記憶のひとつだと思う。内容としてまず、ピノキオを劇としてやりました。私の役は敵役のリーダーとピノキオの父役をやりました。敵役の方の練習の時に先生がとても厳しく毎日のように怒鳴られて自分でできるようになるまでここから出るなと言われ誰もいない暗い教室に1人閉じ込められてました。当時の私はもう怖くて先生に話しかけられないほど追い詰められてたのを思い出します。その先生は他の人にも嫌われる事ばかりしていて親同士の話でちょっとした問題になっていた。
#  小学校と東日本大震災
小学校に上がり友達もできるようになってもうすぐ1年が経過するという時2011年3月11日東日本大震災が起きました。その頃私たちの学校は帰りのSHRをしている最中でした。今ではもう聞き慣れた地震警報の焦りを覚えるような音がその時は初めて聞いた音だったので最初はなんの音なのかわかりませんでした。警報の後にとても大きな地震が来て当時の私たちはパニックになり泣いて叫んでいる人もいました。その後を何回も余震が起き、小さい頃の私にとっては大きなトラウマになりました。これを機に私は地震に備えての準備をするべきだと思った。まだ家は準備をしていないのでこの先20年以内にまた大きな地震が来ると言われているので早めに備えをできるようにしたいと思った。小学二年生では算数の授業で掛け算九九を先生の前で1の段から九の段までを何も見ないで言う授業があり全員できるまでその先の授業にいかないというもので私はもの覚えが苦手なので最後の方まで終わらなくてプレッシャーをすごく感じたことを覚えています。小学三年生では初めての骨折という大怪我をしました。場所は左の前腕であり、折れたきっかけは外で走っている時に転んで全ての体重を左手で支えてしまったことです。その時から数時間は痛みは無く、だけど左手で物を持つということができませんでした。病院に行ってレントゲンをとったら折れてるし場所もズレてるとの事でした。この先がすごく記憶に残っているのが病院の先生は鉄の針のような物を私の左して
小学校に上がり友達もできるようになってもうすぐ1年が経過するという時2011年3月11日東日本大震災が起きました。その頃私たちの学校は帰りのSHRをしている最中でした。今ではもう聞き慣れた地震警報の焦りを覚えるような音がその時は初めて聞いた音だったので最初はなんの音なのかわかりませんでした。警報の後にとても大きな地震が来て当時の私たちはパニックになり泣いて叫んでいる人もいました。その後を何回も余震が起き、小さい頃の私にとっては大きなトラウマになりました。これを機に私は地震に備えての準備をするべきだと思った。まだ家は準備をしていないのでこの先20年以内にまた大きな地震が来ると言われているので早めに備えをできるようにしたいと思った。小学二年生では算数の授業で掛け算九九を先生の前で1の段から九の段までを何も見ないで言う授業があり全員できるまでその先の授業にいかないというもので私はもの覚えが苦手なので最後の方まで終わらなくてプレッシャーをすごく感じたことを覚えています。小学三年生では初めての骨折という大怪我をしました。場所は左の前腕であり、折れたきっかけは外で走っている時に転んで全ての体重を左手で支えてしまったことです。その時から数時間は痛みは無く、だけど左手で物を持つということができませんでした。病院に行ってレントゲンをとったら折れてるし場所もズレてるとの事でした。この先がすごく記憶に残っているのが病院の先生は鉄の針のような物を私の左して骨ごと動かしたのです。その前に腕を麻酔したから痛みはなかったけど見ている様はとても痛々しかったです。母が隣にいましたがとても険しい顔をしていたのを今でも覚えています。
      

はしがき

ここに書くのは私がこれまで生きてきたことでの出来事についてだ。私は高校卒業後、就職する。本当は進学するつもりだったがある失敗をしてしまい就職にした。成功、失敗など今までの人生という括りにしてみれば今回の就職についてもそのうちの一つでしかない。だが、それがきっかけで自分が成長できたと感じることもある。今回私の自分史を書き記すことで自分の過去を思い出しさらに成長出来ればいいと考えている。

生まれてから幼稚園を卒園

2003年5月11日に誕生。幼稚園の時、年長組の時にお遊戯会で披露する劇の練習では振り返ってみると今までの人生の中で、特にキツく思い出したくない記憶のひとつだと思う。内容としてまず、ピノキオを劇としてやりました。私の役は敵役のリーダーとピノキオの父役をやりました。敵役の方の練習の時に先生がとても厳しく毎日のように怒鳴られて自分でできるようになるまでここから出るなと言われ誰もいない暗い教室に1人閉じ込められてました。当時の私はもう怖くて先生に話しかけられないほど追い詰められてたのを思い出します。その先生は他の人にも嫌われる事ばかりしていて親同士の話でちょっとした問題になっていた。

小学校と東日本大震災

小学校に上がり友達もできるようになってもうすぐ1年が経過するという時2011年3月11日東日本大震災が起きました。その頃私たちの学校は帰りのSHRをしている最中でした。今ではもう聞き慣れた地震警報の焦りを覚えるような音がその時は初めて聞いた音だったので最初はなんの音なのかわかりませんでした。警報の後にとても大きな地震が来て当時の私たちはパニックになり泣いて叫んでいる人もいました。その後を何回も余震が起き、小さい頃の私にとっては大きなトラウマになりました。これを機に私は地震に備えての準備をするべきだと思った。まだ家は準備をしていないのでこの先20年以内にまた大きな地震が来ると言われているので早めに備えをできるようにしたいと思った。小学二年生では算数の授業で掛け算九九を先生の前で1の段から九の段までを何も見ないで言う授業があり全員できるまでその先の授業にいかないというもので私はもの覚えが苦手なので最後の方まで終わらなくてプレッシャーをすごく感じたことを覚えています。小学三年生では初めての骨折という大怪我をしました。場所は左の前腕であり、折れたきっかけは外で走っている時に転んで全ての体重を左手で支えてしまったことです。その時から数時間は痛みは無く、だけど左手で物を持つということができませんでした。病院に行ってレントゲンをとったら折れてるし場所もズレてるとの事でした。この先がすごく記憶に残っているのが病院の先生は鉄の針のような物を私の左腕に刺して骨ごと動かしたのです。その前に腕を麻酔したから痛みはなかったけど見ている様はとても痛々しかったです。母が隣にいましたがとても険しい顔をしていたのを今でも覚えています。