1 モルの手記⑫ 月野莉音 (※執筆中) みんなに公開
私のこの感情だって、誰かの理想や誰かの正しさに塗りつぶされて、無かったことにされてしまうの?見えなくされてしまうの?
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貧乏ながらも愛情のある家庭に生まれた。両親が共働きで、私は0歳のうちに保育園に預けられた。親はいつも忙しそうにしていた。特に父親はトラックドライバーで、週に1度家に帰ってこれるかどうかという忙しさだったけれど、帰ってきたら必ず一緒に遊んでくれた。私を第一に考えてくれる優しい両親なんだと幼いながらも思っていた。
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「男のくせにピンクが好きなんてだせー」
「莉音くんは男の子でしょー?あっち行ってよ」
男の子なのに可愛いものが好きな私は、周囲から奇異の目で見られた。中には、私が声をかけると泣き出す子までいた。私が気持ちを伝えるだけで、人を悲しませてしまう。物心ついた時には既に自分が嫌いだった。
保育園で私は誰とも仲良くせず、独りで過ごした。
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「ねえ、どうしてぼくは男の子なの?」
「どうしてって…。莉音くんは生まれた時から男の子よ。」
「…女の子に生まれたかった。」
「そうなの…。女の子に生んであげられなくてごめんね。」
その頃から私は、言語化が得意ではなかった。そんな質問がしたかったわけじゃない。謝って欲しかったわけじゃない。みんなから嫌われることに納得できなかっただけ。もし女の子に生まれていたら、仲間はずれにされなかったかも知れないと思っただけ。誰も悲しませないかもしれないと思っただけ。でも親の哀しそうな目を見て、もうこの話はしちゃいけないんだと悟った。
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「誕生日、何が欲しい?」
「プリンセスのドレス!」
おもちゃ屋にあった、とあるプリンセスのなりきり衣装。
「莉音くん、あのね…それは女の子が着るものなの…」
親はまたあの時のように哀しい目を見せた。親にそんな顔をさせてしまう自分を酷く嫌った。私はおかしい子だ。親を傷つける不孝者だ。
どうして、私が何かを好きになることで、ほかの誰かが哀しんだり、誰かに嫌われなければならないんだろう。
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私は心を閉ざすのが早かった。自分が何かして、誰かを悲しませるのを見たくなかった。小さい頃から絵本やお絵描き、ピアノに夢中になり、ひとりの世界にのめり込んだ。
ひとりの世界にいる間は、嫌いな自分のことを忘れられた。小さな国のお姫様になってハンサムな王子様と恋をした。
頭のなかで完結する世界では、自分の好きに正直になれた。
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「なあ見ろよ!これ莉音のお絵かき帳だぜ」
「うわ、女ばっかり描いてる〜。気持ち悪ぃ」
「髭生やしておっさんにしてやろうぜ!」
「あははははっ!それ最高だなっ」
小学校に進学した最初の年の、ある日のことだった。教室に戻ると、クラスの男子たちが私の自由帳を勝手に開き、落書きをしていた。
私はこの状況にわけがわからず、頭が真っ白になった。
「やめて!返して!」
「いーじゃん別にっ」
私の唯一の心の拠り所に土足で入り込んで荒らされる。大切な私だけの世界を蔑ろにされ、心が引き裂かれるように痛む。
「ねえ返してよ!」
ノートの取り合いが長引き、気付いたら涙が溢れていた。悔しくて、止まらなかった。すぐに先生が駆けつけて仲裁に入ってくれたけど、大切なノートは落書きで穢されたうえ、しわだらけでぐちゃぐちゃになっていた。私が変な人なのは知ってる。嫌われ者なのも知ってる。でもそれが、私のひとりの世界をめちゃくちゃにされる理由になるなんて到底、受け入れられなかった。
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「月野くんごめんなさい」
「莉音くんも男の子なんだから、強い心で許してあげなさい」
男の子。私が大嫌いな言葉。この言葉のせいで、私は可愛くない方に生まれ、可愛くない生き方を強制される。私がこの男子たちを許すことは絶対にないし、謝罪されても少しも嬉しくない。でも、それを誰に言ったって皆哀しい顔をするだけ。私は本心を隠して「いいよ」と答える以外の選択肢がなかった。
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学校から帰ってきてすぐに、私は両親の車に乗せられて再び学校に向かった。両親は担任の先生から電話連絡で今日の話を聞いていたらしく、私がいじめられたことに憤慨していた。担任の先生と校長を呼び出し、このようなことが二度と起きないようにと2人を叱りつけていた。
両親が私を大切にしてくれているということはけれど、申し訳なさそうに何度も謝罪する先生を見るのはつらかったし、帰りに言われた「莉音くんももう女の子の絵を描くのはやめなさい」には納得できなかった。
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それ以降もいじめられることは何度かあった。「喋り方が女子みたいで気持ち悪い」とか、「殴ったのに殴り返してこなくてムカついた」とか、理由は散々だった。でも先に皆を不快にさせてるのは私だから、いじめられても仕方ないと思っていた。クラスにいて欲しくないんだろうなと思った。その度に両親が学校に出向き、度重なる話し合いの中でクラス替えや転校などの話が挙がった。私は誰も傷付けたくないから独りになりたかったけれど、最終的に少人数を多数の教員で指導する、特別支援級に編入することになった。特別支援級は本来、障害や不登校などで特別な支援が必要な子が通うところらしいけれど、両親のモンスターペアレントっぷりが功を奏したのか、特別に私も通えるようになった。
でも、この体の持ち主である私はこの身体の事が大嫌いであるにも関わらず、なぜ両親はそこまで私を大切にしようとするのか、私には理解できなかった。
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「お母さんのプレゼントなら何を貰っても嬉しいよ」
私はかわいいものが好きだ。親にもう絵を描くなと言われたって、それは変えられない。好きを表現できる時間が私の心の居場所でもあった。
でも私の表現や立ち振る舞いはいつも誰かを傷つけてしまうから、それを必死に隠した。絵は誰も見てない時にこっそりと描いて遊んだし、誕生日プレゼントは何を貰っても嬉しいと伝え、もらった時に精いっぱいの笑顔を作った。そうすればみんな喜ぶから。
それに、特別支援級には折り紙やトランプ、オルガンなどの玩具が豊富にあった。知育玩具と呼ばれ、学習が苦手な生徒たちのため特別にこの教室のみに導入されたものらしく、私はこの知育玩具を使ってより人を傷つけない抽象的な表現を楽しむようになっていった。
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支援級の窓から見た4回目の桜。バレンタインにチョコレートを贈ると喜ばれると教えたあの先生はもう転勤して行った。この春からよく支援級に遊びに来る子が、私はなんとなく気になっていた。
彼女の名は朝憬弓音(あかりゆのん)。なぜ支援級に遊びに来るようになったのかはわからないけれど、彼女と手遊びした時に左手の袖口からちらっと見えた痣がすごく痛くて、それでも彼女は私の前でだけ、幸せそうな笑みを見せた。それがすごく印象的で、気づいたらよく遊ぶようになり、授業中はいつも休み時間の10分間を待ちわびるようになっていた。
弓音とはオルガンを弾いたり、ミサンガを編んでお互いの左手に結んだり、毎日色んなことをして遊んだ。彼女は私の表現を決して否定しなかった。それがとても心地よくて、私はこの気持ちをどうにかして伝えたかった。
そう———私もおかしいとは思ってた。ずっとハンサムな王子様との恋に焦がれてた私が、女の子を好きになるなんておかしいと。気づいた時は混乱した。でもこの気持ちが恋だってことは疑いの余地がなかった。それだけ彼女のことをずっと考えていた。ミサンガに、二人の関係がずっと続きますようにと願ってしまうほどに。それに、好きになる相手に性別は関係ない。もし弓音が男の子だったとしても、同じように好きになるだろう。そこに性別の壁はない。
それと、女の子を好きになることは男の子にとって普通のことだ。私の「好き」が、誰からも否定されない唯一の形。彼女と恋に落ちることだけは、誰からも認められる表現だった。
彼女は私の表現を否定しない。だから伝えることに戸惑いはなかった。もちろん、勇気は必要だったけど。
だから、私は鞠の折り紙にその気持ちを込めて、ミサンガの結ばれた弓音の左手に渡した。
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それから彼女は幸せそうな笑みを見せなくなった。鞠を渡した翌々日のことだ。笑っても気まずそうな笑顔ばかりで、急に距離を感じた。どこかぎこちなくて、でも嫌っている様には見えなかった。私の表現はこれまで通り、否定せずに聞いてくれる。霧がかかったような不思議な距離感の関係が続いた。それでも、彼女は毎日会いに来てくれるし、私は彼女が好きだったから、これまでと同じように接した。
そんな日々の中で訪れたのが、バレンタインの季節だった。チョコレートを贈ると喜ばれる日———。毎年チョコレートが好きな人にはお世話になったお礼としてチョコを渡していた。男子はホワイトデーに贈るものらしいけど、男の子扱いされたくなかった私はバレンタインに贈っていた。弓音はチョコが嫌いだと言っていたけれど、どうしても渡したいから悩んだ末にクッキーを焼いた。
そして、2月14日。放課後。通常学級から帰ってきた子が支援級の引き戸をガラガラと開ける度に弓音じゃないかとそわそわしながら、入ってくる子たちにチョコレートを渡していると、彼女は現れた。
真っ先に声をかけ、緊張がバレないようにクッキーの入った包みを渡す。弓音が好き。その気持ちを今度こそ伝えたかった。
「ごめんなさい、私それ受け取れない」
え…
「莉音くんのこと好きじゃないから」
その言葉だけ残し、クッキーさえ受け取らずに駆け出す弓音。突き放される感覚。頭が真っ白になる。嫌われていた…?
私の気持ちは一方通行だった…?
私だけ、見ている世界が違ったのだろうか。
違う。
もともと私は嫌われ者だ。気持ち悪い人だ。だからこれまでは、隠して隠してきた。弓音には私の表現が受け入れられていると、勝手に思い込んでいた。今日だって、ホワイトデーではなくバレンタインにお菓子を贈るような真似をした。嫌われて当然だった。弓音がどんな事情を抱えているかも知らずに、勝手にこちらの好意ばかり押し付けていた。そもそも、私は弓音の気持ちがわかっていたのだろうか。
私が弓音について知っていることと言えば、チョコが嫌いなことと、私が嫌いなことだけ。たったそれしか知らない。それだけ。もしかすると、チョコが嫌いだというのも、私からバレンタインを貰わないための嘘だったのかもしれない。そうなると本当に、私が嫌いだということしか私は知らないことになる。
でも弓音だって、私の何を知っていた?
私は男の子扱いされることが嫌いだ。この制服もズボンも、くん付けで呼ばれることも。私は弓音のことが性別を問わず好きだったけれど、弓音は私に男らしさを求めて寄ってきていたのかも知れない。もしそうだとしたら虫唾が走る。でも、私のこの気持ちは誰にも受け入れられなかった。当然だ。キモがられるに決まっている。私だってこんな自分嫌いだ。わかってる。
———本当の私を知って、抱きしめてくれる存在なんていない。
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ミサンガが自然に切れるとき、願いが叶うという。
なら私の願いは絶対に叶っちゃいけない。二人の関係はもう続いちゃいけない。私は左手首に巻きついたミサンガをカッターナイフで切り裂いた。その時、カッターナイフの先端が私の左手首を掠めてしまう。血も出ないほどの浅い傷。なのにすごく痛い。思わずカッターナイフが手から落ち、傷口を右手で覆う。痛い……
……弓音にできていた痣の痛みは、こんなのの比じゃないんだろうな。
そっと傷口から手を離し、傷口をもう一度カッターナイフでなぞる。今度は血が赤く滲む。ジンジンと沁みるような痛み。耐えられず涙が零れる。でも、この痛みが今の私にはなんだか心地よかった。なにより、弓音の痛みが少しだけわかったような気がした。
もっと弓音に近付きたくて、さらに深く傷口に切りこむ。
痛い…。痛みが強すぎて頭がくらくらする。こんなの正気じゃない。どうにかなりそうだ。弓音はこんなのを我慢してたのか……
「ちょっと、何してるの!?大丈夫!?」
「あ、えっと……その、手を怪我して……」
「怪我なんて珍しいわね…どうしたの?」
「えと……ミサンガを切ろうとしたら、失敗しちゃった」
「わかったわ。とにかく、早く手当てしないと…」
数分後、私の傷口にはガーゼが巻かれ、痛みも幾分か和らいでいた。
「よし、これで大丈夫。もし明日腫れてたらお医者さんに行こうね」
母は手当を施すと、私の手をギュッと握り、台所に戻っていった。
相変わらず、両親はなぜそんなに私を大切にするのか理解できない。
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人を傷つける表現はいらない。人を傷つける人に存在価値はない。死ね、月野莉音。
違う、月野莉音が死ねば両親が悲しむ。死ぬべきは月野莉音じゃない———その意識を持っている、私だ。
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