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6.5.白銀と薬指
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「プロテクトか…!」 溢れ出る力の渦に対し、黒コートが弾かれたように加速し駆け出すと、その渦の中心にいる健人目掛けて十字架の槍を突きだし、刺し貫く。そしてそこから横一文字に斬り裁いた。 しかしそこに健人は居らず、黒コートが後方を振り向けば、沢村に馬乗りになっていたサクラは既にその胸部を貫かれて"破壊"され、塵となって消えていった。そこに居たのは白と赤に彩られた衣と、銀の装備、そして面を纏った男。腕に携えたトンファーを思わせる武器が、その力を紅く灯している。 直後に白銀はトンファーを虚空に消し、絶望と痛みに生気を失くした沢村の身体を抱えると、腰に携えたキーホルダー状の魔道具を左手で握った。 「花森、さん…?」 「喋らんとき。応急処置じゃ…アンタの心までは、すぐ治せんが」 そして赤いブレスレットと魔道具を以て練り上げた淡い光を、その手で以て沢村の身体に当てれば、彼の負った傷が癒えていく。 「貴様…!」 それを見た黒コートの姿が、山羊を思わせる異形の悪魔へと変わった。そして槍を振り上げて一閃。巨大な暗い光の衝撃波を飛んでくる。 「無粋な奴じゃな!」 対する白銀は今一度左手にトンファーを携え、即座に拳を打ち出してその圧を飛ばした。直後に互いに打ち出した力が相殺され、欠き消えていく。その向こうで悪魔が吠えた。 「無粋はこちらの台詞よ!下らん術式風情が!」 投げ掛けられた言葉に白銀は不服と鼻を鳴らしながらも、沢村を抱えたまま戦慄にあった初樹を呼ぶ。 「そこの兄ちゃん、この人連れて早う下がれ!」 「花っち…?」 駆け寄る初樹は、一瞬白銀の姿を凝視しながら花森健人の名を口にするも、白銀はそれを一蹴してこう名乗った。 「俺はネーゲル。説明は後じゃ!」 それだけ告げた白銀は、沢村の腕を初樹の肩へ回し、走らせようとする。その時だった。 「させるか!」 悪魔が吠え、ネーゲルたちの元へ突進する。対するネーゲルは即座に反応すると、白と赤の衣を翻して前進し、トンファーを携えて振るわれる槍を防ぐ。そしてそのまま激しい打ち合いに持ち込んだ。 「やってくれたな…あと一歩で喰らえたんだが」 「いや、どうも気に入らんでな。その展開」 「ほざけ!ならばここで貴様のカルナを頂くまでよ!」 悪魔が大きくトンファーを弾き、跳び退るネーゲルに向けて闇色の焔を波動と放つ。 「そいつは御免被る!俺の魂(たま)もそう安うはないんでな!!」 対するネーゲルはブレスレットを翳し、赤い閃光を撃ちだして波動とぶつけた。衝突する力と光が、夜の闇を激しく照らす。 「こんなことって…」 人智を超えた光景。初樹はそれを見つめて言葉を漏らした。傍らの沢村は涙に濡れながら、ただ呆然とその激しい光だけを見つめる。そして彼は誰にも見えぬ中で、小さく呟いた。 「…殺せ」 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 膨大な熱量同士のせめぎ合いが、遂に大きく爆ぜる。瞬間、ネーゲルと悪魔はその爆発の中に突撃し、互いに自身の得物を相手に向けて大きく振りかぶる。そして互いの身体が交差したとき、トンファーの一撃が悪魔の身を打った。そしてそのまま悪魔は地に叩き落される。 「これ程とはな…!」 地に伏した悪魔が吐き捨てる。その異形の相貌は微動だにしないが、悪魔はその苦悶にあって尚もネーゲルを、自身を阻んだ障壁を憎々し気に見据えていた。ネーゲルはそれに対し、淡々と言い放つ。 「さっさと失せろ。これ以上面倒になる前にな」 「言ってくれる。俺を見逃すとでも?」 「二度も言わすな、さっさと失せろ」 しかしその時だった。初樹に抱えられていた沢村が、傷を負った身でその制止を振り切り、なりふり構わず大きく叫んだ。 「何で見逃すんだ!こんな奴生かしちゃいけない!殺してくれ!!」 ネーゲルはそれに反応し、沢村の方を一瞬見遣る。白銀の面に隠れていないその唇は、僅かに引き結ばれた。 「悪いな、兄さん。今ここでは無理じゃ」 「どうして…」 「こっちの事情もあってな…何よりここで無茶して、アンタをこれ以上危険に晒せん」 「なんだよ、それ…俺はどうなったっていい!!こいつを殺れるなら、俺はもう…」 怨嗟と憤怒に狂乱しながら、叫ばれる悲痛と涙。悪魔はそれに対して黒コートの姿に戻るとネーゲル達の姿を一人ずつ見る。そして、虚ろに嗤った。 「貴様ああぁぁっ!!」 沢村が壊れながら黒コートに叫ぶ。だが即座にネーゲルが割って入るようにトンファーから拳圧を繰り出すと、黒コートは次の瞬間には闇に消えていた。後に残ったのは沢村の慟哭。ただ、ネーゲルには一つだけ、その悲しみに伝えるものがあった。 「女の子の声が、聞こえたんじゃ。アンタの事、”助けてくれ”って言っとった。今俺に言えるのは、それだけじゃ」 「それって…」 「これは推測でしかないが、アンタの大切な人のそれじゃろう」 その言葉を受けた沢村智輝は、二度と失われた大切な人の名を呼び、彼女が残した心にただ泣き暮れていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 花森健人が意識を取り戻した時には、一応の全ては終わっていた。今度目を覚ましたのは、乱れて埃っぽいアパートの自室。テーブルでは初樹と沢村が話をしていた。 「沢村さんはこれから、どうされますか?」 「何も…わかりません」 「そう、ですよね…酷なことを聞きました」 初樹も沢村も、互いにその目はどこか虚ろだった。沢村に至っては目が赤いまま、呆然とさえしている。 「知らないところで苦しまれて、知らないところで殺められて、知らないところで死なれてしまった…正直言えば、まるで訳がわからない」 「途方に暮れるという意味では、多少はわかるかもです。人間、ある種そんなものなのかな」 脱力した沢村の姿に、最初に会った時の印象は最早微塵も感じられなかった。そして目を伏せつつそう語る初樹の姿には疲労が色濃く浮かび、一方である種の達観さえ見て取れる。 「あれから、どうなった…二人は、無事?黒コートやサクラは——」 健人が二人に向けてそう発すると、初樹が弾かれたようにこちらを見た。そして一瞬上を向くと瞬きをして、安堵の表情と共に返答する。 「一先ず花っちが起きて、良かったよ」 時間は5月4日、8時47分。状況は現在も尚、不明瞭かつ過酷ではあった。しかし飯は食わねばならない。そうして三人分の朝食を作る健人の背に向け、沢村が言った。 「一つだけ、はっきりさせたいことがあるんです」 「何でしょう?」 ポツリと言われた沢村のその一言は、健人に調理の手とコンロの火を止めさせた。そうしなければならない思いが不意に健人の中に過った故だった。コーヒーを淹れていた初樹も、沢村の方に注意を向ける。 「花森さんが、あのネーゲルと名乗った銀の戦士になった時、”咲良と思われる女性の声に私を助けてくれと言われた”と言っていました。あれは、花森さんも聴いたのですか?」 「ええ、俺も聴いています。どういう原理かは、俺も分からないけど…"彼は駄目、私の所に来ちゃいけない"とも。切ない声が、確かに」 そう返答すると、少しだけ間が空いた。やがて沢村が小さな嗚咽と共に、下を向く。 「咲良…君は、ひどい人だ」 誰も、何も言えなかった。沢村智輝の悲痛、足掻きに対する真壁咲良の返答は、残酷で優しいものだった。何も、言えるわけがない。何よりそのことに対する回答は彼自身が出さないとならないのだから。 「その優しさが…本当に」 むせび泣きながら紡がれた言葉に、健人も沈痛さを抱かずにはいられなかった。だがその泣き声もやがて、ほんの少しだけ収まると、彼は彼女の指輪取り出して自身の左手の薬指に着ける。 「でもそれが君からの思いなら、やっと勝手にできたことなら、せめて"助けられる"だけはしないと。だけど、俺は…」 その頬に、最後の一雫を流しながら。それが別れの合図。二人の絶望を生きる、ただ一つの意思。 「花森さん、桧山さん。ありがとうございました。二人が居なければ、私は真実にたどり着けなかった」 「いえ、俺なんて最後はもう何もーー」 「もう、飯ができますよ。食ってってください」 初樹の自嘲を今は遮って、健人は沢村の悲壮な覚悟に対し、朝食をテーブルに並べた。
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