4.丁寧と重奏 version 4
4.丁寧と追及重奏
「…そうだろうな」
再度沈黙を挟み、佐田が言った。その真剣な眼差しは他でもない花森健人に向けられていた。
「簡単にどうにかなってれば、そこまでなっちゃあいないだろう」
健人はその言葉を受けながらも、佐田を睨みつけていた。
「店長に何が分かるって言うんですか」
「確かに、分かるなんて言えない。ただな、花森ーー」
「説教は…」
「そんなに自分を貶めてたら、本当に死んでしまうぞ」
瞬間、健人は遂に視線を佐田から外した。
「知りませんよ、そんなこと」
言いながら、自嘲した。そもそも自身が壊れかねないことに恐れを抱いていたくせに。
「本当にそれでいいのなら、止めはしないが…お前の判断に、そこは任せる」
末尾は息を吐きながら言ったその言葉を最後に、佐田は自身の仕事の在庫管理に戻った。再びの静寂の中、健人は途方に暮れていた。"佐田の指導は、重箱の隅をつつく程細かいーー"。健人は確かにそう認知しており、今はより強くそう思ったが、丁寧なそれだった。少なくとも捨て鉢な自分より、余程。その彼が先のように告げた。そのことの意味が、わからない訳がない。だがその理解と共に抱く、自身をこうも卑屈にした無力もまた、健人を萎縮させる。そんな二つの狭間に呆然とした意識は、その身を安場佐田から動かさなかった。
――――――――――――――――――――――――
辛うじてシフトの時間を終え、帰路に着く健人の思考は、どうしようもなく先の佐田の指導と、夢だったはずの一連を想起していた。
佐田の言葉に対し、意識に刷り込まれた"逃避する無能な自身"が、否応なしに反応する。
「俺には何も出来ない。逃げてしまう自分が、いつだって醜い。醜いが何も出来ない」
一人で苦悶を追及する自閉的な自我が、状況を打破出来るわけもなく、かつ自嘲を繰り返す。
しかし何より、逃げなければ。あんな人間離れした怪物に太刀打ちなど…そこまで考え、夢とした先の出来事が脳裏を過る。あの影の怪物を倒し、その闇を辛くも祓った感覚。あの時も確かこんな夜ーー。
「私の"影魔"を殺ったのは、お前か」
夜道の向こうからやってきた長身の黒コートの男。通りすぎさま、不意に彼から掛けられた物騒な言葉は、即座に健人を飛び退かせた。
「…えっ、なに…なんですか!?」
「あの場の"カルナ"と絶望を辿ってみれば…」
その言葉と共に、黒コートの体躯は暗い焔に包まれた。驚愕と恐れに自身の飲んだ息の音が聞こえる。
程なく暗い焔から現れたシルエットは、その各部に鬣を想起させる突起を宿し、背には大きな翼、そして十字架を思わせる槍を携えていた。人の形をしながら人としての特徴を大きく逸脱していたその姿に、健人の心身は戦慄に震えた。
現実離れした光景。しかし確かに、目の前の異形は自身に向けて十字の槍を向けて迫り来る。その様はさながら、命を狩りとらんとする悪魔か。
「やめろ…おい…!」
「囀ずるな」
やはり夢などではなかった。息が上がる。身体が縮み、竦み上がった。現実はいつも想定よりも最悪を行く。気がつけば周囲の景色が夜の田舎道から一転、より暗い闇色の靄に包まれていた。悪魔が瞬時に距離を詰め槍を健人の身体に振り下ろしのは、その直後のことだった。
「…見つけた!」
瞬間、そう誰かの声がしたのを最後に、健人は意識を失った。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー"煌輪アイギス、アクセス"
"対象の生命・魂魄、緊急保護"
"意識・精神構造、解析、照会"
"当該人物と確認"
"カルナを媒介とした魂魄誘導のチャンネル形成"
"リンク状況、送受信共に閾値不安定"
"強制リンク、及び次元移送ーー実行"
途絶したはずの意識、死に至ったはずの魂が、読み上げられる言葉を追っていた。
「ここはどこだ…あの世とか?」
「そうじゃないよ、あなたは今も生きてる」
誰かーー先の声が言った。優しい響き。しかし少しノイズが混じっている。その方向に向こうとするも、相手の姿は認められない。それどころか自身の形も朧気に、曖昧になっている。赤い灯りが一つ点いた。拡がっていくそれだけが見える。
「ここは"星の回廊"。あなたがいた場所とは異なるところ」
「…何だそれ、現実?夢?君はーー」
「今説明するのは難しいの、手短に言うね」
声の主は素早く言った。切迫した言葉ながら、直後の呼吸に携えた意思を感じ取れた。
「私、あなたを助けたい…私と一緒に戦って」
「えっ…」
告げられた言葉に、震える。それは"戦うこと"への畏怖か高揚か。状況はとうに理解を超えていた。自身の処理も到底追い付いていない。
しかしその言葉の向こうに、見えた。
自分に手を差しのべる"友達"が。
"大切な人"の姿が。
理由などそれだけで充分だった。
故に、花森健人はその手を取った。
"リンク状況、送受信共に正常化"
"カルナ重奏、開始"
「…そうだろうな」
再度沈黙を挟み、佐田が言った。その真剣な眼差しは他でもない花森健人に向けられていた。
「簡単にどうにかなってれば、そこまでなっちゃあいないだろう」
健人はその言葉を受けながらも、佐田を睨みつけていた。
「店長に何が分かるって言うんですか」
「確かに、分かるなんて言えない。ただな、花森ーー」
「説教は…」
「そんなに自分を貶めてたら、本当に死んでしまうぞ」
瞬間、健人は遂に視線を佐田から外した。
「知りませんよ、そんなこと」
言いながら、自嘲した。そもそも自身が壊れかねないことに恐れを抱いていたくせに。
「本当にそれでいいのなら、止めはしないが…お前の判断に、そこは任せる」
末尾は息を吐きながら言ったその言葉を最後に、佐田は自身の仕事の在庫管理に戻った。再びの静寂の中、健人は途方に暮れていた。"佐田の指導は、重箱の隅をつつく程細かいーー"。健人は確かにそう認知しており、今はより強くそう思ったが、丁寧なそれだった。少なくとも捨て鉢な自分より、余程。その彼が先のように告げた。そのことの意味が、わからない訳がない。だがその理解と共に抱く、自身をこうも卑屈にした無力もまた、健人を萎縮させる。そんな二つの狭間に呆然とした意識は、その身を安場佐田から動かさなかった。
――――――――――――――――――――――――
辛うじてシフトの時間を終え、帰路に着く健人の思考は、どうしようもなく先の佐田の指導と、夢だったはずの一連を想起していた。
佐田の言葉に対し、意識に刷り込まれた"逃避する無能な自身"が、否応なしに反応する。
「俺には何も出来ない。逃げてしまう自分が、いつだって醜い。醜いが何も出来ない」
一人で苦悶を追及する自閉的な自我が、状況を打破出来るわけもなく、かつ自嘲を繰り返す。
しかし何より、逃げなければ。あんな人間離れした怪物に太刀打ちなど…そこまで考え、夢とした先の出来事が脳裏を過る。あの影の怪物を倒し、その闇を辛くも祓った感覚。あの時も確かこんな夜ーー。
「私の"影魔"を殺ったのは、お前か」
夜道の向こうからやってきた長身の黒コートの男。通りすぎさま、不意に彼から掛けられた物騒な言葉は、即座に健人を飛び退かせた。
「…えっ、なに…なんですか!?」
「あの場の"カルナ"と絶望を辿ってみれば…」
その言葉と共に、黒コートの体躯は暗い焔に包まれた。驚愕と恐れに自身の飲んだ息の音が聞こえる。
程なく暗い焔から現れたシルエットは、その各部に鬣を想起させる突起を宿し、背には大きな翼、そして十字架を思わせる槍を携えていた。人の形をしながら人としての特徴を大きく逸脱していたその姿に、健人の心身は戦慄に震えた。
現実離れした光景。しかし確かに、目の前の異形は自身に向けて十字の槍を向けて迫り来る。その様はさながら、命を狩りとらんとする悪魔か。
「やめろ…おい…!」
「囀ずるな」
やはり夢などではなかった。息が上がる。身体が縮み、竦み上がった。現実はいつも想定よりも最悪を行く。気がつけば周囲の景色が夜の田舎道から一転、より暗い闇色の靄に包まれていた。悪魔が瞬時に距離を詰め槍を健人の身体に振り下ろしのは、その直後のことだった。
「…見つけた!」
瞬間、そう誰かの声がしたのを最後に、健人は意識を失った。
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ーー"煌輪アイギス、アクセス"
"対象の生命・魂魄、緊急保護"
"意識・精神構造、解析、照会"
"当該人物と確認"
"カルナを媒介とした魂魄誘導のチャンネル形成"
"リンク状況、送受信共に閾値不安定"
"強制リンク、及び次元移送ーー実行"
途絶したはずの意識、死に至ったはずの魂が、読み上げられる言葉を追っていた。
「ここはどこだ…あの世とか?」
「そうじゃないよ、あなたは今も生きてる」
誰かーー先の声が言った。優しい響き。しかし少しノイズが混じっている。その方向に向こうとするも、相手の姿は認められない。それどころか自身の形も朧気に、曖昧になっている。赤い灯りが一つ点いた。拡がっていくそれだけが見える。
「ここは"星の回廊"。あなたがいた場所とは異なるところ」
「…何だそれ、現実?夢?君はーー」
「今説明するのは難しいの、手短に言うね」
声の主は素早く言った。切迫した言葉ながら、直後の呼吸に携えた意思を感じ取れた。
「私、あなたを助けたい…私と一緒に戦って」
「えっ…」
告げられた言葉に、震える。それは"戦うこと"への畏怖か高揚か。状況はとうに理解を超えていた。自身の処理も到底追い付いていない。
しかしその言葉の向こうに、見えた。
自分に手を差しのべる"友達"が。
"大切な人"の姿が。
理由などそれだけで充分だった。
故に、花森健人はその手を取った。
"リンク状況、送受信共に正常化"
"カルナ重奏、開始"