身体のあちこちが痛む。何時間も戦い続けているせいで疲労が溜まり、手足の感覚がもうほとんど残ってない。
眼前にはエクリプスが3体。彼らも消耗しているはずだが、その様には見えなかった。
浅い呼吸しかできず、目眩で視界がふらつく。
どうすればいい?どうすればこの状況を覆せる?
リーンとは戦っているうちにはぐれてしまった。エウィグは疲弊していたので先に帰って休むように伝えた。
敵の数があまりに多く、少しでも早く倒し進めて街の被害を抑える必要があった。そのためにリーンとは敵を分担して動かなければならなかった。もしかしたら彼もまだ戦い続けていて、私のように動けなくなっているかもしれない。急に彼のことが心配になってきた。私よりもっと酷い状況になっている可能性だって考えられる。それはまずい。
彼を失うわけにはいかない。彼はエクリプス退治におけるパートナーであると同時に、一人の友人と言っても過言ではない関係になりつつあった。
そのためにも、なんとしてもこの状況から抜け出さなければ。
翼をやられたせいで空を飛ぶことはできないが、脚はまだ痛みを無視すれば動きそうだ。幸い、痺れて感覚がなくなっているから左脛の切り傷はそこまで気にならなかった。
左手は辛うじて弓を握っているが、もう矢を引いて撃つ力は残っておらず、弓は現状ただの金属の棒だった。
魔法の発動だけは問題なくできた。いつだって私は身体のどの部分より魔法と一体だった。
3体のエクリプスがじわじわと距離を詰める。伸びる夕闇の黒い影が地面を這い、私に覆いかぶさろうとする。もう時間がない。
頼りになるのはこの感覚のない脚と、魔法だけ。
右拳の内側で炎の魔法を繰り出し、その威力を臨界点ギリギリのところまで引き上げる。腕全体が熱くなるのを感じた。この一撃で仕留めなければ、あとはない。
ゆっくりと立ち上がり、ふらつく視界で、しかしはっきりと相手の姿を捉える。エクリプスたち足並みを揃えてこちらに向かってくる。今なら3体まとめて倒せるかもしれない。
リュミエは急加速で走り出した。エクリプスたちの懐へ駆け込み、熱する右手を打ち込もうとしたその瞬間、まだ無傷な別のエクリプスが2体、物陰から飛び出してきた。それを視認するや否や、こちらが判断するよりも早く彼らは一瞬で距離を詰め、その爪の切っ先でこちらの喉元を鋭く睨んだ。
全てがスローモーションに見えた。このままだと、一秒後にはあの爪が私の首元を貫くだろう。かといって今から姿勢制御したところで、迫る爪を避けることはできそうにない。
終わった…。
一秒後の出来事を悟り、ぎゅっと目を瞑り歯を食いしばる。まぶたの裏で、ルクスカーデン時代の思い出が蘇る。
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…当時5歳の私は、友達と一緒に公園で遊んでいた。砂場でごっこ遊びをしたり、遊具を魔法でふにゃふにゃにして遊んだりもした。お父様もお母様も笑っていた。みんな笑ってた。あの頃は楽しかったな……。たまに魔法が暴走して、鉄棒が真っ黒焦げになったりもしたっけ。まだ未熟だったとはいえ、あれは危なかったな…。あとで侍女に散々言われたっけ。『熱の魔法は暴走させると危険すぎるから気をつけろー!』って。でも今となってはそれも楽しい思い出。あの頃みたいに、ずっと笑っていられたらよかったのにな…
…あれ?なんで暴走させると危険なんだっけ?近くの人を焦がしてしまうから?私自身が火傷してしまうから?
…今近くにいるのはみんなエクリプスだ。むしろ焦がしてしまいたい。それに私は致命傷を負う一秒前。火傷で済むなら軽い話。
もう躊躇はなかった。目をつぶったまま、右拳にありったけの魔力を込める。炎が沸騰した湯のように暴れ、右腕全体が熱くなる。お願い、暴走して…!
すると、ふと右拳が軽くなり、炎が自身の制御下から離れていく感覚があった。
次の瞬間。
…轟音とともに強すぎる衝撃が全身を伝い、一瞬、気を失ったかのような錯覚を覚える。次に感じたのは全身の痛み。右腕を中心に、熱湯を被ったようなヒリヒリとした痛みが身体中を襲う。おそるおそる目を開けると、私は灼熱を纏っていた。足元には半径5m以上の巨大な黒円が描かれ、眼前にいたはずのエクリプス3体は姿を消し、無傷だったもう2体はかなり奥の方でダウンしている姿が見えた。しかし、全身を覆う火の粉が陽炎を起こしてはっきりと捉えるのが難しく、また火の粉が目に入りそうなのであまり見続けることはできない。
「オ前…たダじゃ済マサない」
奥で倒れていたエクリプスの右側の一人が瓦礫から身体を起こし、爪を構えて迫ってくる。さっきの一撃で全てを使い切ってしまった私は今度こそ終わったと思った。しかし、自身を覆う炎が壁となり、エクリプスは近付くのに躊躇していた。
この炎は一体……まさか、これが炎の魔法の暴走なのだろうか。もう全てを出し尽くしたと思っていたが、今も炎は燃え続け、私を鎧のように包んでいる。だが制御下にある感覚もなく、私の肌をジリジリと焼き続けている。
これは……武器にできる。
私は近付けなくてもたもたしているエクリプスに向かって跳躍した。動くと火の粉が余計に当たり、痛みも増した。殴りかかる姿勢をとろうとしたが、右腕に力が入らないことに気付き、とっさに左腕で構えなおし、拳を握り込んだ。目を閉じているから感覚だけを頼りに、その姿が見えた場所に一撃を入れる。
手応えを感じたと思ったのと同時に、纏う炎がその箇所で圧縮され、爆発を起こした。その時左腕が確かに感じた爆風は、普段私が使う必殺技“プロミネンスシュート”が着弾した時のそれだった。思わず目を開けると、エクリプスはただの拳では有り得ない吹き飛び方をしていた。
私の制御下にないという意味では暴走しているのだが、これほどまでのパワーがあり、かつ私の意思と違わずに動いている。少なくとも今は、暴走を使わない手はない。
それに、今ならリーンを探しに行ける。早く合流しなければ。
「…イい気にナりヤガって」
左側のエクリプスが起き上がり、こちらに走ってくる足音が聞こえる。私は左手でエクリプスを払い退け、必殺技級の爆風を左腕に感じながらリーンのいた方へ向かって走り出した。
手振りのひとつひとつが火の粉の中を泳ぎ、その度に焼けるような痛みが走った。でもこの力でできることに比べれば、それはかすり傷のように思えた。