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10.書き換えと再構成
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その後も殺した。朝憬市東部に現れた三体の影魔を。身体の疲労と意識の苦痛が花森健人を包む。息苦しさに肩が震えた。自身が戦う直前まで襲われ、逃れようとしながらも叶わなかった人々は、既に皆その姿を消していた。周囲にはもう誰もいない。 苦戦した。ハチを思わせる影魔の刺突が身体を掠め、その毒を浄化しながらトカゲの影魔の膂力を防いだ。しかしその尾は健人の剣を絡めとり、魔装具と共に反撃に転じてもカニの甲殻と鋏を持った影魔が、魔装具の光弾を弾く。三者三様に手強く、またその長所を活かした搦め手と連係を展開してきた。 それ故ブレスレットを激しく灯し、その光線を全方位に向ける。その爆発と熱線で辛うじて影魔を灼いたものの、健人自身は更に消耗していた。ネーゲルもブレスレットによる回復機能を健人に作用させるも、それで消耗した全てを治癒するには、事態はあまりに切迫していた。 「健人」 「あ?」 「ここからは、俺が…」 ネーゲルが言いかけたその時、スマートフォンが鳴動した。すぐ懐から取れば、その画面に記されるは桧山初樹の名。瞬時に通話に応じたが、聞こえてきたのは忌々しい仇敵の声だった。 「俺は交渉もまともに出来ん獣とやり取りしているようだなイレギュラー…いや、花森健人」 「ハッサンは無事なのか!?」 「どうかな?貴様らの無作法の代償は奴にいくらか払わせた。揺らいだ心に反映した目が、この連絡先を教えてくれたよ」 友が、傷つけられた。その身を、心を。恐れに身が震え、健人の心中を搔きむしる。最早理性は焼ききれそうになっている。 「てめえ、殺してやる…!」 「それはこちらの台詞だ。これ以上こちらの影魔に手を出すな。取引の場を伝える」 「どこだ!?」 「喚くな!朝憬市中央塔だ。そこまでご足労願おう」 「やめろ花っち、罠だ!うあぁ!」 「ハッサン!」 初樹が黒コートに殴打される音と同時に通話は切れた。恐怖に駆り立てられるまま、すぐに走り出した健人の顔と呼吸は引きつり、その頬は涙に濡れていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝憬市の上空、要人輸送用のヘリコプター内部。そこに座したゾルドーが目を開き、閣下とアゼリア、そしてその傍らの少年に告げる。 「中央塔にて動きがあった。エヴルアだ。正確には奴の影魔だが」 「ふむ、頃合いだな。間もなくこの国の"友人"も、機を見て戦士たちに指示を出すということだ」 「…どこまでがあなたの筋書き?バベル」 閣下ーーバベルの言葉に、アゼリアが眉を寄せて問いを投げ掛けた。 「エヴルアの裏切りは、まだ後と考えていたよ。これは流石に早いに過ぎる」 「愚策を超えて気が触れている」 口を挟んだゾルドーが冷たく言い放つも、バベルは悠然かつ淡々と現状に対する評価を続けて述べる。 「だが奇を衒い、我々を脅かすという点に関しては効果的ではある。おかげで大衆に我々の存在が完全に露呈しかねない」 そう言って僅かに肩を竦め、ため息を吐きながらもバベルの表情は未だ崩れることはなかった。 「それだけにアゼリア、君の策に助けられる」 「マッチポンプではあるけどね」 「なに、プロパガンダもマッチポンプも結構なこと。それが効果的なら使うまでの話だよ」 変わらず眉を寄せるアゼリア、憮然としたゾルドー。彼らの態度を察しながらも、バベルはどこかあっけらかんとさえしてそう告げる。 「ふふ、大人っぽい言い方だね。バベル」 そんな三者の雰囲気に対し、少年がにこやかに言った。 「私は大人だよ、ゼン」 バベルにそう窘められながらも、ゼンと呼ばれた少年は微笑を崩すことはなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 早く、早くーー。足が縺れる。より強く変身したそれであっても、身体は重く倒れそうになる。行かなければ。俺が狂気で動いたばかりに状況が悪化した。俺が行かなければ、なんとかしなければ。俺が——。一秒でも早く中央塔へ辿り着かんと、健人は全速力で風よりも速く走った。 「ハッサン…!」 肩で息をしながら、小さく呟く友の名。止まるわけにはいかない。間に合わせるために、また失う絶望に捕まらぬために。 「見えた…」 そうしてやがて、朝憬市中央塔をその眼に捉える。だがその時——。 「健人!避けろ!」 健人は極限故かネーゲルの警告が聞こえず、また気付けなかった。上空からコウモリを思わせる姿をした影魔が、健人に向けて蹴撃を仕掛けてきたことに。 何が起きたのか、健人の脳は過負荷に状況把握ができない。ただ独りでに悲鳴を上げている自身がそこにいた。衝撃に舞う土埃の向こうには加えて四体、計五体の影魔の影。 「健人、俺が行ーー」 「あああぁぁぁーー!!」 ネーゲルの申し出より先に狂った叫びを上げて健人は五つの影目掛けて突撃した。だがその叫びはすぐに更なる悲鳴へと変わるのにそう時間はかからなかった。 昏倒し、変身が解除された花森健人の身体は、二体の影魔によって中央塔内部5階のロビーの床に投げ出される。 「ご苦労」 事を為した五体の影魔達に一応の労いの言葉をかけ、夜景に目を向けていた黒コートが振り返った。そのまま倒れた健人に歩み寄る。 「やってくれたものよ、イレギュラー。貴様によって、俺が力を与え贄を喰わせた影魔が4体も失われた」 黒コートが指を鳴らす。それに応じるように、サイとシャチを思わせる影魔が健人の上体を強引に抱え上げ、そのまま両腕の動きを封じた。 「この代償をあの小僧で支払わせてもいいが、目的はあくまで貴様のブレスレットだ。その秘宝の力で、精々贖ってもらおうか」 そうして虚空から取り出した十字架の槍。彼はその切っ先で健人の頬を叩く。 「ほら、出てこいネーゲル。出番だろう、いつまでも渋っている場合か?そちらがそうなら…」 切っ先で叩く勢いが強くなる。そして次の瞬間黒コートが槍を振り上げ強く叫んだ。 「最早ここまでだなイレギュラー!!」 しかしそれと同時に振り下ろされた槍は、健人の周囲に舞う白銀の鎧によって防がれた。またブレスレットも強く輝き、青から赤へとその光を変えていく。 「ようもそう…ごちゃごちゃ舌が回るもんじゃ」 ネーゲルの人格の発露に、黒コートはその口角を上げた。そして彼もその身を悪魔の姿への変えていく。一連の事態にサイとシャチが花森健人の身体を押さえつける力を強めるも、強く発した"力"と宙を舞う鎧によって悪魔共々押し退けられ、そのまま怯まされる。 「喋りはこっちのお株よ。簡単に取らんでもらおうか!」 その隙に健人の身体は白銀の鎧を装着し、ネーゲルとして顕現した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 迫るサイとシャチに回し蹴りを見舞う。そしてすぐにこちらに向けて跳んできたコウモリの蹴り、そして悪魔の槍をトンファーで防いだ。間髪入れずにアネモネの影魔が繰り出した地を這う根が、ネーゲルを拘束せんと足下を蠢く。跳躍してそれを躱せば、背後に迫るは電気ウナギの影魔が雷撃の掌底を打ち込んできた。たまらずネーゲルが呻くも、追撃の手は止まない。6対1という多勢に無勢。しかしーー 「舐めるなやぁ!」 瞬時に両腕とトンファーに力を纏わせたネーゲルは錐揉み回転し、飛翔したコウモリと虚空を飛び魔弾を撃つアネモネの花弁を打ち落とした。すぐ続けてコウモリにトンファーから拳圧を放ち留めを刺す。だが崩れ落ちるコウモリに目をやる余裕はない。悪魔の放った炎が飛んでくるのを、ネーゲルは左のトンファーで防ぐも体制を崩した。その落下地点には肩にその角を宿したサイと鋭いヒレを持つシャチのタックル。角とヒレは辛うじてトンファーで防ぐも、二体の膂力に吹き飛ばされ、そのままガラスと共に中央塔から弾き出された。宙を浮遊することで落下することはない。だがそれは悪魔の方も同じ。斬撃と打つと共に空中で飛んで距離を詰めてきた悪魔にネーゲルが吠えた。 「初樹を返せば、お前らを吹っ飛ばさんとおいてやる!」 「それで交渉のつもりならお粗末にも程がある…あの小僧なら中央塔の最上階だ。まして貴様、地上の人間を巻き込むと?」 中央塔が落ちれば地上に被害が出るのは必然。ネーゲルは範囲の大きい技を封じられていた。しかし、次いでネーゲルの口から出てきたのは大きな溜め息だった。 「…マジで、舐められたもんじゃ」 瞬時に悪魔の急襲を弾き、そのまま彼を吹き飛ばす。だが黒い身体はその慣性に踏み留まりつつ塔の5階に舞い戻るが、そこには空中にいたはずのネーゲルの分身が4つ、光と共に現れた。 「それなら各個に」 「シバくだけよ」 「ほいじゃあ…」 「覚悟はええな?」 そう告げつつ4人のネーゲルが不意を突いて影魔達を即座に討つ。そして悪魔がそれを認知した瞬間には、空中にいたオリジナルのネーゲルは彼の眼前にあり、その鳩尾に一撃を叩き付け、そのまま力を強く放った。 「このクソエクリプスがぁ!」 4つの分身を自身に戻し、ネーゲルは倒れ込んだ仇敵に追撃する。だがその時だった。身体が、動かない。そのままネーゲルはロビーの床に倒れ込んだ。 「…!!クソ、こんな時に…!」 「どうやら、"時間"のようだな」 そこに迫るは十字架の槍。そして、自身を見下ろす異形の双眸。こちらの事情を既に見透かされていたことに、ネーゲルは自身の浅はかさを痛感した。だが、このまま誰のことも明け渡すわけにもいかない。自分も、宿主も。加えて宿主の支えたる友も。当初こそプロテクトとして宿主とブレスレットを優先したが、最早そんな融通は通せない。 「時間?何のことか…」 「抜かせ。貴様の力、俺には既に割れている。宿主たるイレギュラーの存在を貴様のカルナで貴様自身に"書き換え"、その後また宿主の存在を"再構成"する…」 「そんな器用なことがーー」 「それが可能な閾値、即ちネーゲルとして変身し活動できる限界は、およそ3分間。そういったところだろう?まして宿主も消耗していては」 しかしそれらの秘密があまりにも早く敵に把握されていたことは、最早ネーゲルと健人を手詰まりまで追い込んでいた。 「では貴様のカルナとブレスレットを頂く」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー "おい健人!このまま終わるわけにいかんじゃろ!!" けたたましく誰かが叫んでいる。断ち消えていた意識がそれを理解こそしたものの、暗闇の中で動けない自分がいた。助けないといけない人がいるというのに、自分がこの有り様では話にならない。やはり、何も出来ないか。幼少期から幾度も数えてきた諦観。そもそも自分が関わらなければ、こうはならなかったのではないか。 自分が親友とはいえ彼の事に半端に関わってきたことで、彼は悪魔に襲われたと言えないか? 元を辿れば確かに俺を事に誘ったのは友である彼だ。だが悪魔は俺を狙っていて、そのために友は命の危機に陥った。なら自分が何かする方が悪手になるのでは?無為、無常、無力、無力、無力。それならーー。 「もう、何もしない方が…」 "ーーそんなこと認めさせたりしない。それだけがあなたじゃない。" その時確かに響いた言葉。花森健人の中に在る大切な誰かの声が篝火となって暗闇の中に一つ灯り、その心を照らした。 そして灯りの向こうに広がる光景——それは初樹に、自身の内を打ち明けた日の記憶。英道大学からの帰り道、夕焼けが健人と初樹を照らす。 「俺さ、多分何かしていい人間じゃないんだ。あんまり誰かに関わっていい人間じゃないって」 「どうしてそんなこと思うの?」 「何ていうか無責任な癖に、他人に過干渉で前のめりだからかな。具体的にどうってのは言えないんだけど…ずっと、そんな感覚がある」 「…言えないのはいいよ、無理しないで。ただ、一つだけ聞いてもらうとしたら、俺は花っちと友達になって良かったけどな」 真摯な瞳と共に、自身に真っ直ぐ向けられた言葉。不意に切なさがこみ上げ、目を逸らしそうになるけれど、それは他でもない自分が許さなかった。 「花っちと話し始めた時さ、実は俺、色々キツイことあったんだ。そんな時に何ていうか、花っちっていう自分にも人にも一生懸命な人を知って、波長が合うと思ったんだ」 「でも内心はすげえ歪んでるよ、俺」 「それは大なり小なり皆ある。俺もそう。そりゃ、垣間見える花っちのそれは心配になるけど…”ああ、こうして足掻いてる人がいる”って思えたのが、その時の俺にはでかかったんだ」 そう言ってくれた彼の存在が嬉しく、同時に彼に苦痛を味わわせたものが恨めしいと思った。それこそ彼の苦痛は、奴らによるものだったのだと今になって気づく。そして——。 「花っち、由紀、ごめん」 初樹の心、その悲痛を耳にしたとき、健人は今一度覚悟を決める。 "私の御守りが一緒に戦う。だからどうか、お友達とあなた自身を助けてあげて どういうわけかはわからない。その言葉がどうして今この状況で届いているのか。ただ、一つ言えることがあるとすれば、それはーー。 「いいの?」 "うん。あなたにならいいよ" まだ、自分に留まって足掻く理由がある。故に健人の意識は諦観の微睡みから対峙すべき現実へと戻った。
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