0 幼い頃から反社会的性格だった みんなに公開

幼い頃から反社会的性格だった話

今でこそ自覚して親にも言われてそうだね、という私の特性のひとつに「めっちゃ天の邪鬼」というのがあります。少数派に属したい……というわけではないんですが、みんながいいね! というものに「そう?」というか、反対意見を持ちやすいというか。ツンデレなわけじゃなくてマジでみんながそこに群がる意味がわからんと思っているんだけど(世間ではそれをツンデレというのかも)。

ただこれが出てきたのが、交通事故にあってからだと思っていたのにそうじゃなくて笑っている。
ダンプにはっ倒されて顔面粉砕骨折後「人間マジでいつ死ぬんかわからんのに、やりたくないことやってる場合じゃねえ」と思って、相当開き直り性格になったんですが、わたしのこの反社会的性格はもじもじもじ子の小学生の頃からであった。

もじもじもじ子というのも、NOが言えない子供でめちゃくちゃ人見知りで、母のそばを離れない子供だったからである。NOが言えないため、友だちに「それいいね、ちょうだい!」と言われたら「いいよ」と言ってしまうタイプで、自分はそんなつもりなかったけどいじめられていたようです。自分の持ち物はほぼほぼ友だちにカツアゲされていた。ぼ〜っとしていたから全く気づかなかったよ。
もじもじもじ子なので教室では先生にもあまり認知されていなかったと思うんだけど、小学2−4年の頃の担任の先生がちょっと変わった人で、そこで「めちゃくちゃ歌がうまい子供」として認知されてからは、クラスでの知名度も若干上がったと思う。強制的に合気道も習わされて最低限NOは言えるようになった。
そしてその変則的なクラス割で、3年間仲良くすごしたクラスメイトたちは5年に上がる前に、タイムカプセルしようぜ! という話になり、同窓会で開けようぜ! で開けたのである。

ちなみに自分は学区内とはいえ引っ越したのもあり、同窓会スルー寸前だったが、親同士が顔見知りの子のお母さんが、「ゆうちゃんち、下だよ(マンションではなく坂の下に私の家があり、坂の上にその子の家がある)」と教えてくれたらしく、自宅にピンポンして同窓会のはがきを届けてくれたため、ギリギリ参加できたのである。
ピンポンじゃないままはがき投函されてたら絶対行かなかったけど、ピンポンされて「返事今くれ」って言われたら「行きません」とは言えないじゃん。事故後だったら「行かない」って言ってたけど。

でタイムカプセルを開けたんだけど、私がいれたらしきものがない。普通なら「なんで!?」って思うのかもしれないが、私は「あー……絶対20年後の自分に向けてのメッセージってこっ恥ずかしいより前になにも思い浮かばんし、20年後の同窓会って行くか? 行かねえだろ。今ですら友だちの家に遊びに行くこともないのに」って思ったんだろうなと悟った。
30になって考えると、あのもじもじもじ子の頃から反社会的精神だったのかよ、と思うが、幼き自分はめちゃくちゃ正しかった。というかみんなちゃんと手紙とかいれてて真面目なんだな……って思った。

ということを夕飯のときに母に話したら「その頃から反社なら言って欲しかった……」と言われた。何考えてるかよくわからない子供だったせいで親には心配をかけてきたので。

私も今、別に不真面目なわけじゃないけど、気がすすまないことは絶対やらないし、やりたいことはやるので、自分に対して正直なだけである。
たとえば本当は1日8時間以上働けると思うけど、実働5時間超えると目がシバシバするし、指が重いし、腰も冷えるから、タイマーで5時間超えたら、よほど急ぎの仕事じゃなければやらないとか、居酒屋でみんながおいしいねえ! っていう自分ちでも作れる適当なサラダに対しておいしいねえ! という顔をしなくなったとか、刺盛り5点のうち、内容がサーモン(嫌い)・マグロ(嫌い)・イカ(普通)・ホタテ(生ならギリ)・タイ(好き)だったら「私、タイ以外いらんから」と正直に言うとかそういうことです。

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