これは私たちが紡いだ希望の物語  No.1 1/2 version 53

2022/07/14 14:13 by someone
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これは私たちが紡いだ希望の物語  No.1 1/3【?】
2020年、4月16日。その日、朝憬市立朝憬英道大学二回生である花森健人は、同大学B棟3階、第2講義室にて行われる人体の機能と構造の講義に出席していた。
「…そのためICF、国際生活機能分類では…」
時間は11時57分。単調な講師の話と昼食までもたない空腹、そして気怠さ。既に講義に意識を集中させることが難しい。天を仰ぐように軽く首を逸らし、左目を瞬かせて再度講義を聴くよう努める。しかし、そこに加わる周囲の学生らの小声の数々。それが健人の意識をかき乱す。最早聴講することは投げ出して、彼は前方を向いて時間をやり過ごすことだけに注力していた。そんな折、彼の座す講義室中段の席の一つ前から、男子学生の二人組がある都市伝説を小声で話すのが聞こえてくる。
「また出たって、”赤髪の魔女”」
「お前好きだな、その与太話」
話を振った方の小柄な男子学生が「講義よりは面白いだろ」と渇いた笑みを浮かべて小声で話し続けた。
「それが諸星町の教会近くで怪物と争ってたってSNSでさ…」
「お前その感じ、特撮とかそういうもんの延長で見てんだろ。別に否定はしないけど、俺にそれを話されてもさ」
話を聞くガタイのいい男子学生がその大きな肩を竦ませ、呆れた口調で返す。
「なんだよ…なんか、イケてんじゃん。赤髪の魔女」
「お前、ミーハーだな…」
ガタイから小柄へ発された言葉に共感し、健人は小柄の方を冷ややかに見るものの、気が付けば講義よりもそちらの話ばかりを耳が拾っていた。最終的に講師が講義終了を告げると同時に、健人の胸中には苦い自己嫌悪が広がる。講師と学生らがそれぞれの荷物をまとめて講義室を後にする中、同じゼミに所属する友人——横尾和明が上の空である健人の下にやってきてその肩を叩いた。
「お疲れ、花っち」
「ああ、お疲れカズさん」
「どした?また夜更かしして絵でも描いてたのか?」
心ここに在らず。そんな健人のうだつの上がらない声に、和明は苦笑しながらその理由を問う。
「いや、それが…何て言うかさ…」
「うん、どした?」
「何で俺、この勉強してるんだっけって思ってさ」
話はそこで一瞬間が空いた。和明の口から「…え?」という一音だけがポツリと零れる。
「…とりあえず、まあ飯行く?」
「行く。腹減った」
怪訝な顔と共に言った和明の一言に即答し、健人は傍らのショルダーバッグを掴んで席を立った。

「なんか最近花っち、ボーっとしてること多いけど…さっき言ったの、深刻なやつ?」
「深刻、なのかな?それもぼんやりしててさ」
英道大学の学食。その食堂にて、熱い醤油ラーメンに息を吹き掛けて冷ましながら和明が言った。健人は唐揚げ定食のキャベツを貪る合間にそれに応える。どんぶりから立ち上る熱い湯気に和明の眼鏡が曇った。
「モラトリアムだな~」
「俺もそう思う…まあ、そういう奴もいるさ」
和明の感想の一言に対し、健人は苦笑しつつ応え、唐揚げを口に入れた。肉の旨味と油、柔らかさに、続くご飯が大口を開けた中へと消えていく。ラーメンを啜る和明の眼鏡は未だに曇っていた。やがて咀嚼と嚥下を一先ず終えると、健人はふと口を開いて努めて軽い口調で話し始める。
「自分が信じてたものが、ここしばらくわからなくてさ」
「ここしばらくってどれくらい?」
「2年ちょい」
和明の持った箸の先が、ラーメンのスープに浸かったまま止まった。
「…長いな、ていうか高校からか。信じてたものって、どんなのか聞いてもいい?」
丁寧に尋ねる和明に友人としての誠実さを感じる。だが健人は僅かに俯いてラーメンのどんぶりに視線を外した。しかしその目の端には、眼鏡の向こうで和明の目が少し動いたのが見えた。
「人を思ってた自分、かな」
その言葉に、和明は一瞬だけ眉根を寄せる。健人もドリンクのウーロン茶にしか手が伸びなかった。
「…深刻じゃん」
「やっぱ?」
「少なくとも、確かに学業の目的には関わるな…」
ラーメンを置いて、真剣な表情を浮かべる和明。その姿は、健人の胸に一瞬沈鬱なものを抱かせた。あまり考えたくないし、あまり考えさせたくはない。気が付けばウーロン茶だけがますます消費されていった。
「逆にさ、人を思ってた切っ掛けって、何かあった?」
やがて繰り出された言葉に対してバツの悪さを感じ、遂に健人の手が止まる。続けられる話題から、胸の内に仕舞った思いに関して問われ、健人は困惑を抱いた。それが不意に顔に出る。
「…悪い、花っち。大丈夫か?」
健人は自分がどんな顔をしているのか、それさえ取り繕えなかった。恐らくぎこちなく笑う事しかできなかったのだろう。和明のこちらを見遣る神妙な表情から、そのことを感じ取った。
「ああ、大丈夫。ちょっと考えちゃってさ」
「ごめん。ベタな考えだけど、何か力になれないかと思ってさ」
「いや…実際これ、俺が一番執着してることだから。それは自分でわかる…ありがとな、カズさん」
そこまで話してようやく、健人は冷めた唐揚げ定食へと再度箸を進める。
「いや、足しになったら良かったんだが…深堀りしすぎたな」
和明もまた、そこで話を切ると伸びてしまったラーメンを啜った。
 
そこは何処かの廃工場。暗がりの中で佇む長髪の男が、羽織っている黒コートを翻して振り向く。そこにはクモを思わせる異形の人型があった。今まさに天井から垂らした糸を右手で握り、クモはスルスルとその場に降り立つ。
「アハト…報部の君が私に言伝か。どういう風の吹き回しだ」
「アハト…報部の君が私に言伝か。どういう風の吹き回しだ」
黒コートは憮然として言った。クモ——アハトを半ば睨みつけるように、鋭い眼をそちらに向ける。
「ヴェムルア様、まずはこちらの要請に応じてくださり感謝致し…」
「下らん前置きはいい。状況を説明してもらおう」
自身の謝辞を切り伏せられたアハトは一瞬、反応の間を開けた。しかし黒コート——ヴェムルアがそれに構うことは無く、その態度を崩すことも無い。アハトは鼻を鳴らしながらも、静かに説明を始めた。
「我々諜報部隊が予ねてから追っておりました、さるアズが見つかりました」
「我々が予ねてから追っておりました、さるアズが見つかりました」
「私にそれを狩れと?」
「お察しの通りです。奴らは何かと面倒ですから」
事務的に響くアハトの言葉に、事務的に上役としての返しをするヴェムルア。アハトの即答にヴェムルアは自身の内で独り言ちる。この場をいち早く去りたいのは貴様だけではない。しかし――
「私以外に適任がいるだろう?」
「そこは個にして一軍に匹敵する力を誇る、ヴェムルア様にとの声が上がりまして」
「ただの閑職だ。余計な飾り立てをするな」
そう言って尚も食い下がるヴェムルアに、遂にアハトも溜息を隠さなくなった。アハトは携えた情報端末を起動させると、ヴェムルアに向けて一歩進み、虚空に映し出された電子文書を彼に突き出す。そこに表記されたものを見遣ると、ヴェムルアは目を見開いた。その様に肩を竦めるも、すぐにアハトはヴェムルアの目を見据えて告げる。
「事態は急を要します。我々全体に関わる」
そのアハトの丸く黒い四つ目を、ヴェムルアもまた真っ直ぐに見るとこう返した。
「…了解した。それで、このアズの女は何者だ?手元の情報は全て寄越せ」
電子文書の上に重ねて表示される画像には、標的たる美しい女の姿が小さく表記されていた。

健人が日原望結と数年ぶりに再会したのは、その二日後のことだった。場所は朝憬市駅前にある喫茶店アコール。モダン建築を取り入れたシックな佇まいを感じさせるその店内で、健人はレギュラーサイズのコーヒーを啜る。時間は午後14時半前。奥の席に座る健人は、キッチンと同居したレジカウンターの方を時折目で追っていた。そうしていると待ち合わせの時間である14時半ちょうど、懐かしい待ち人が店内に入ってくる。セミロングの髪と丈の長いワンピース姿で現れた日原望結は、最後に会った時と殆ど変わらない、柔らかで美しい印象だった。レジカウンターで注文を済ませ、席を探す彼女はすぐに健人を見つけると、会釈しながらこちらに歩み寄る。
「お久しぶりです、ご無沙汰してます」
「こんにちは、健人くん。お久しぶりです」
健人の挨拶はどこかぎこちなさがあった。ぎこちないながらも、柔和な笑みと挨拶を返す望結を壁際のソファに誘う。そして健人の方は椅子に掛けるも、余裕はすぐになくなっている。
「ありがとう、今も親切だね」
「いや…」
「でも緊張してる」
微笑んで言われたその言葉に、健人も知らず苦笑した。誤魔化すようにコーヒーを一口啜る。
「俺、顔に出ますからね」
「だけど繕いすぎるよりいいよ」
「…変わってないっスね」
健人の癖を、肯定的に言い換えた望結のその様に、そんな言葉が微笑と共に口をついて出た。「そうかな?」と続く言葉と、首を傾げ、目を細める彼女の所作に、今もどこか惹き付けられる。
「健人くんはあれから、どう?メールしてくれた時は、”人を大切に思えない”って書いてたけど」
「ああ、そうだ。すみません。えっと、どう言ったもんかな…」
今日ここに来たそもそもの目的を思い返す言葉に、意識が現実へと引き戻される。最近の自身の状況は既にメールしていたが、そこに至るまでの苦難は割愛していた。
「…あれから、色々あったんです。でも一番は、自分と人に疲れちゃったみたいで、面倒くせえって」
「…もらったメールの感じもうだった。それだけのことが、あったんだね」
「…それだけのことが、あったんだね」
「それこそ、繕いすぎたのかな?俺」
優しい人間になりたかったはずだった。だから福祉という人の生活の困難と幸福に関わる学問を専攻した。
そう、繕っていただけだ。優しい人間になりたかったはずだった。だから福祉という人の生活の困難と幸福に関わる学問を専攻した。
「友達と話して、日原さんみたいになりたかったのを思い出したんです。だから、今また会えれば、何か見えるかなって」
だが実際は、そういう自分――正義漢を気取り、繕い、酔っていただけの話だ。しかし今、そんな酩酊にさえ自身が疲れ果てている。でありながら未だに、優しさに焦がれた記憶は、酷い二日酔いのように自身の内にこびりつき、同時に腐臭を発していた。或いはさながら酒臭さか。
だが実際は、そういう自分――正義漢を気取り、酔っていただけの話だ。しかし今、そんな酩酊にさえ自身が疲れ果てている。でありながら未だに、優しさに焦がれた記憶は、酷い二日酔いのように自身の内にこびりつき、同時に腐臭を発していた。或いはさながら酒臭さか。思いの外、饒舌に話す自身に驚きながらも、健人は望結にそれまでの自身のことを話した。

アコールの付近に位置するさるホテルの一階、ガラス張りにされたフロント隅のソファに黒コートの男——ヴェムルアが座していた。その右の手元にはアハトと同型の情報端末を潜ませ、また左手を耳元に当てている。そこに着けられているイヤホンは擬態の一つだった。しかしその口は動かされることはない。
「そちらはどうかね?」
「ええ、”糸”と”子供ら”は張り巡らしておりますよ」
念波を通じ、ヴェムルアが語り掛けると、アハトの返事が内に響いた。
「擬態もせずによくやる」
「伊達や酔狂で情報部に所属しているわけではありません」
「状況は?」
アハトの軽口を流しながら、ヴェムルアはアコールの方へと振り向き、その鋭い目を向ける。
「若い男と話しています」
「男?情報にはないぞ」
「彼女のクライアントと見えます。この星では彼女は…」
「理解している。話の内容もカウンセラーのそれか」
「ええ、そのようです」
所謂人生と心理の相談役。知性体のつまらぬ足掻きの生んだ商売の一つ。それ以外の認識も感慨も大して持ちはしない。しかし——。
「面倒ですな」
「ああ。夜には一人になるか…」
「…仮にそうなり得ない場合は?」
「下世話な愚問だ。だがそうなら男をダシにでもすればいい」
低俗なロマンスに身を投じる女なら、今日まで生き抜いてこられなったことは容易に想像できた。だが不利な選択肢は一つでも減じ、有用な手札は増やしておくのがヴェムルアという者の主義だった。
「ほう…」
「追加の手当は出そう。君も付き合え」
アハトに男を押さえさせておき、使えるカードでなければ切って捨てればいい。
「私、残業は好まないのですが」
「情報部に昇格を打診してもいい」
「私程度の要領では、責が増えるよりは昇給して頂きたいですが、構いませんか?」
「…ああ、口利きはしてやる。動いたらすぐに私を呼べ」
人を食ったような物言いをするクモに辟易しながらも、ヴェムルアはそれに応じる。種全体の危機を回避するための少々の痛手だ。そう解しつつヴェムルアは念話を切った。

「多分、健人くん…どこかで今も、自分に多くを求めてるんじゃないかな」
逡巡し、空いていた間に望結からの言葉が差し入れられた。しかし、健人は彼女を見返すことができない。醜い。自分はついぞ、この人のような美しい笑顔は出来なかった。
それか、許してあげられなかったか」
「誰を?…何を?」
「あの頃からのあなた自身。それとあなたが見てきた、学校や周りの社会の現実」
知らず唇が奮える。かつて自身の内をさらけ出した相手の言葉が、自の確信に迫っていることは即座に理解できた。
「だから、苦しい自分を認めてやれずに"私みたいになりたかった"んじゃないかな?」
「…そうです。それでも足掻いてたつもりですが、高3の頃に壊れた」
「壊れたっていうのは…」
「入院したす」
望結は再度健人の言葉を待つ。先にアコールに来ていた健人のコーヒーは既に冷め始めていたが、彼の瞳はより冷ややかだった。
地獄なんてこにでもあると思いした。で、よく診てくる医師に言われたんです。"その憧れが、花森さんの首を締める一因じゃ"日原さんみたいになりたいのは、確かに違ってた「…分そうんすよね」
「、止まれなかったんだね…」





###### //ギルです。ちょっと健人、暗い話をしすぎかな?塩梅に悩んでいるところです。モル、そうした部分や展開などに、もしご意見があれば教えてやってください。その間、ギルは自身のプロットを追加したりしようと思います。

###### //モルです。暗い話なのは全然問題ないです!健人の考え方や価値観には影が落ちてるので、その断片だけでも描写できれぱキャラに深みが生まれてよきです。ただ、健人の過去をばらすのは時期尚早な気がします。読み手に過去がわかってしまうとその深みがなくなってしまう…多少大げさにでも、過去についてはぼかしながら会話を描写することは可能でしょうか…

###### //ギルです。モル、ありがとうございます。言ってくれたアドバイスはギル自身も感じておりまして…なので、核心に迫る会話の間にヴェムルアとアハトにしゃべってもらいました。(;'∀')…最後の方、凄い俗っぽい会話だったけどねw今のところ、ギルには健人の話、このぼかし方と提示の仕方しかできないけど…読み手への情報がどこまで上手くできているか、ちょっと不安でして…頼りなくてすみません。      

2020年、4月16日。その日、朝憬市立朝憬英道大学二回生である花森健人は、同大学B棟3階、第2講義室にて行われる人体の機能と構造の講義に出席していた。
「…そのためICF、国際生活機能分類では…」
時間は11時57分。単調な講師の話と昼食までもたない空腹、そして気怠さ。既に講義に意識を集中させることが難しい。天を仰ぐように軽く首を逸らし、左目を瞬かせて再度講義を聴くよう努める。しかし、そこに加わる周囲の学生らの小声の数々。それが健人の意識をかき乱す。最早聴講することは投げ出して、彼は前方を向いて時間をやり過ごすことだけに注力していた。そんな折、彼の座す講義室中段の席の一つ前から、男子学生の二人組がある都市伝説を小声で話すのが聞こえてくる。
「また出たって、”赤髪の魔女”」
「お前好きだな、その与太話」
話を振った方の小柄な男子学生が「講義よりは面白いだろ」と渇いた笑みを浮かべて小声で話し続けた。
「それが諸星町の教会近くで怪物と争ってたってSNSでさ…」
「お前その感じ、特撮とかそういうもんの延長で見てんだろ。別に否定はしないけど、俺にそれを話されてもさ」
話を聞くガタイのいい男子学生がその大きな肩を竦ませ、呆れた口調で返す。
「なんだよ…なんか、イケてんじゃん。赤髪の魔女」
「お前、ミーハーだな…」
ガタイから小柄へ発された言葉に共感し、健人は小柄の方を冷ややかに見るものの、気が付けば講義よりもそちらの話ばかりを耳が拾っていた。最終的に講師が講義終了を告げると同時に、健人の胸中には苦い自己嫌悪が広がる。講師と学生らがそれぞれの荷物をまとめて講義室を後にする中、同じゼミに所属する友人——横尾和明が上の空である健人の下にやってきてその肩を叩いた。
「お疲れ、花っち」
「ああ、お疲れカズさん」
「どした?また夜更かしして絵でも描いてたのか?」
心ここに在らず。そんな健人のうだつの上がらない声に、和明は苦笑しながらその理由を問う。
「いや、それが…何て言うかさ…」
「うん、どした?」
「何で俺、この勉強してるんだっけって思ってさ」
話はそこで一瞬間が空いた。和明の口から「…え?」という一音だけがポツリと零れる。
「…とりあえず、まあ飯行く?」
「行く。腹減った」
怪訝な顔と共に言った和明の一言に即答し、健人は傍らのショルダーバッグを掴んで席を立った。

「なんか最近花っち、ボーっとしてること多いけど…さっき言ったの、深刻なやつ?」
「深刻、なのかな?それもぼんやりしててさ」
英道大学の学食。その食堂にて、熱い醤油ラーメンに息を吹き掛けて冷ましながら和明が言った。健人は唐揚げ定食のキャベツを貪る合間にそれに応える。どんぶりから立ち上る熱い湯気に和明の眼鏡が曇った。
「モラトリアムだな~」
「俺もそう思う…まあ、そういう奴もいるさ」
和明の感想の一言に対し、健人は苦笑しつつ応え、唐揚げを口に入れた。肉の旨味と油、柔らかさに、続くご飯が大口を開けた中へと消えていく。ラーメンを啜る和明の眼鏡は未だに曇っていた。やがて咀嚼と嚥下を一先ず終えると、健人はふと口を開いて努めて軽い口調で話し始める。
「自分が信じてたものが、ここしばらくわからなくてさ」
「ここしばらくってどれくらい?」
「2年ちょい」
和明の持った箸の先が、ラーメンのスープに浸かったまま止まった。
「…長いな、ていうか高校からか。信じてたものって、どんなのか聞いてもいい?」
丁寧に尋ねる和明に友人としての誠実さを感じる。だが健人は僅かに俯いてラーメンのどんぶりに視線を外した。しかしその目の端には、眼鏡の向こうで和明の目が少し動いたのが見えた。
「人を思ってた自分、かな」
その言葉に、和明は一瞬だけ眉根を寄せる。健人もドリンクのウーロン茶にしか手が伸びなかった。
「…深刻じゃん」
「やっぱ?」
「少なくとも、確かに学業の目的には関わるな…」
ラーメンを置いて、真剣な表情を浮かべる和明。その姿は、健人の胸に一瞬沈鬱なものを抱かせた。あまり考えたくないし、あまり考えさせたくはない。気が付けばウーロン茶だけがますます消費されていった。
「逆にさ、人を思ってた切っ掛けって、何かあった?」
やがて繰り出された言葉に対してバツの悪さを感じ、遂に健人の手が止まる。続けられる話題から、胸の内に仕舞った思いに関して問われ、健人は困惑を抱いた。それが不意に顔に出る。
「…悪い、花っち。大丈夫か?」
健人は自分がどんな顔をしているのか、それさえ取り繕えなかった。恐らくぎこちなく笑う事しかできなかったのだろう。和明のこちらを見遣る神妙な表情から、そのことを感じ取った。
「ああ、大丈夫。ちょっと考えちゃってさ」
「ごめん。ベタな考えだけど、何か力になれないかと思ってさ」
「いや…実際これ、俺が一番執着してることだから。それは自分でわかる…ありがとな、カズさん」
そこまで話してようやく、健人は冷めた唐揚げ定食へと再度箸を進める。
「いや、足しになったら良かったんだが…深堀りしすぎたな」
和明もまた、そこで話を切ると伸びてしまったラーメンを啜った。
 
そこは何処かの廃工場。暗がりの中で佇む長髪の男が、羽織っている黒コートを翻して振り向く。そこにはクモを思わせる異形の人型があった。今まさに天井から垂らした糸を右手で握り、クモはスルスルとその場に降り立つ。
「アハト…情報部の君が私に言伝か。どういう風の吹き回しだ」
黒コートは憮然として言った。クモ——アハトを半ば睨みつけるように、鋭い眼をそちらに向ける。
「ヴェムルア様、まずはこちらの要請に応じてくださり感謝致し…」
「下らん前置きはいい。状況を説明してもらおう」
自身の謝辞を切り伏せられたアハトは一瞬、反応の間を開けた。しかし黒コート——ヴェムルアがそれに構うことは無く、その態度を崩すことも無い。アハトは鼻を鳴らしながらも、静かに説明を始めた。
「我々が予ねてから追っておりました、さるアズが見つかりました」
「私にそれを狩れと?」
「お察しの通りです。奴らは何かと面倒ですから」
事務的に響くアハトの言葉に、事務的に上役としての返しをするヴェムルア。アハトの即答にヴェムルアは自身の内で独り言ちる。この場をいち早く去りたいのは貴様だけではない。しかし――
「私以外に適任がいるだろう?」
「そこは個にして一軍に匹敵する力を誇る、ヴェムルア様にとの声が上がりまして」
「ただの閑職だ。余計な飾り立てをするな」
そう言って尚も食い下がるヴェムルアに、遂にアハトも溜息を隠さなくなった。アハトは携えた情報端末を起動させると、ヴェムルアに向けて一歩進み、虚空に映し出された電子文書を彼に突き出す。そこに表記されたものを見遣ると、ヴェムルアは目を見開いた。その様に肩を竦めるも、すぐにアハトはヴェムルアの目を見据えて告げる。
「事態は急を要します。我々全体に関わる」
そのアハトの丸く黒い四つ目を、ヴェムルアもまた真っ直ぐに見るとこう返した。
「…了解した。それで、このアズの女は何者だ?手元の情報は全て寄越せ」
電子文書の上に重ねて表示される画像には、標的たる美しい女の姿が小さく表記されていた。

健人が日原望結と数年ぶりに再会したのは、その二日後のことだった。場所は朝憬市駅前にある喫茶店アコール。モダン建築を取り入れたシックな佇まいを感じさせるその店内で、健人はレギュラーサイズのコーヒーを啜る。時間は午後14時半前。奥の席に座る健人は、キッチンと同居したレジカウンターの方を時折目で追っていた。そうしていると待ち合わせの時間である14時半ちょうど、懐かしい待ち人が店内に入ってくる。セミロングの髪と丈の長いワンピース姿で現れた日原望結は、最後に会った時と殆ど変わらない、柔らかで美しい印象だった。レジカウンターで注文を済ませ、席を探す彼女はすぐに健人を見つけると、会釈しながらこちらに歩み寄る。
「お久しぶりです、ご無沙汰してます」
「こんにちは、健人くん。お久しぶりです」
健人の挨拶はどこかぎこちなさがあった。ぎこちないながらも、柔和な笑みと挨拶を返す望結を壁際のソファに誘う。そして健人の方は椅子に掛けるも、余裕はすぐになくなっている。
「ありがとう、今も親切だね」
「いや…」
「でも緊張してる」
微笑んで言われたその言葉に、健人も知らず苦笑した。誤魔化すようにコーヒーを一口啜る。
「俺、顔に出ますからね」
「だけど繕いすぎるよりいいよ」
「…変わってないっスね」
健人の癖を、肯定的に言い換えた望結のその様に、そんな言葉が微笑と共に口をついて出た。「そうかな?」と続く言葉と、首を傾げ、目を細める彼女の所作に、今もどこか惹き付けられる。
「健人くんはあれから、どう?メールしてくれた時は、”人を大切に思えない”って書いてたけど」
「ああ、そうだ。すみません。えっと、どう言ったもんかな…」
今日ここに来たそもそもの目的を思い返す言葉に、意識が現実へと引き戻される。最近の自身の状況は既にメールしていたが、そこに至るまでの苦難は割愛していた。
「…あれから、色々あったんです。でも一番は、自分と人に疲れちゃったみたいで、面倒くせえって」
「…それだけのことが、あったんだね」
「それこそ、繕いすぎたのかな?俺」
そう、繕っていただけだ。優しい人間になりたかったはずだった。だから福祉という人の生活の困難と幸福に関わる学問を専攻した。
「友達と話して、日原さんみたいになりたかったのを思い出したんです。だから、今また会えれば、何か見えるかなって」
だが実際は、そういう自分――正義漢を気取り、酔っていただけの話だ。しかし今、そんな酩酊にさえ自身が疲れ果てている。でありながら未だに、優しさに焦がれた記憶は、酷い二日酔いのように自身の内にこびりつき、同時に腐臭を発していた。或いはさながら酒臭さか。思いの外、饒舌に話す自身に驚きながらも、健人は望結にそれまでの自身のことを話した。

アコールの付近に位置するさるホテルの一階、ガラス張りにされたフロント隅のソファに黒コートの男——ヴェムルアが座していた。その右の手元にはアハトと同型の情報端末を潜ませ、また左手を耳元に当てている。そこに着けられているイヤホンは擬態の一つだった。しかしその口は動かされることはない。
「そちらはどうかね?」
「ええ、”糸”と”子供ら”は張り巡らしておりますよ」
念波を通じ、ヴェムルアが語り掛けると、アハトの返事が内に響いた。
「擬態もせずによくやる」
「伊達や酔狂で情報部に所属しているわけではありません」
「状況は?」
アハトの軽口を流しながら、ヴェムルアはアコールの方へと振り向き、その鋭い目を向ける。
「若い男と話しています」
「男?情報にはないぞ」
「彼女のクライアントと見えます。この星では彼女は…」
「理解している。話の内容もカウンセラーのそれか」
「ええ、そのようです」
所謂人生と心理の相談役。知性体のつまらぬ足掻きの生んだ商売の一つ。それ以外の認識も感慨も大して持ちはしない。しかし——。
「面倒ですな」
「ああ。夜には一人になるか…」
「…仮にそうなり得ない場合は?」
「下世話な愚問だ。だがそうなら男をダシにでもすればいい」
低俗なロマンスに身を投じる女なら、今日まで生き抜いてこられなったことは容易に想像できた。だが不利な選択肢は一つでも減じ、有用な手札は増やしておくのがヴェムルアという者の主義だった。
「ほう…」
「追加の手当は出そう。君も付き合え」
アハトに男を押さえさせておき、使えるカードでなければ切って捨てればいい。
「私、残業は好まないのですが」
「情報部に昇格を打診してもいい」
「私程度の要領では、責が増えるよりは昇給して頂きたいですが、構いませんか?」
「…ああ、口利きはしてやる。動いたらすぐに私を呼べ」
人を食ったような物言いをするクモに辟易しながらも、ヴェムルアはそれに応じる。種全体の危機を回避するための少々の痛手だ。そう解しつつヴェムルアは念話を切った。

「多分、健人くん…どこかで今も、自分に多くを求めてるんじゃないかな」
逡巡し、空いていた間に望結からの言葉が差し入れられた。しかし、健人は彼女を見返すことができない。醜い。自分はついぞ、この人のような美しい笑顔は出来なかった。
「…多分そうなんすよね」
「けど、止まれなかったんだね…」

//ギルです。ちょっと健人、暗い話をしすぎかな?塩梅に悩んでいるところです。モル、そうした部分や展開などに、もしご意見があれば教えてやってください。その間、ギルは自身のプロットを追加したりしようと思います。
//モルです。暗い話なのは全然問題ないです!健人の考え方や価値観には影が落ちてるので、その断片だけでも描写できれぱキャラに深みが生まれてよきです。ただ、健人の過去をばらすのは時期尚早な気がします。読み手に過去がわかってしまうとその深みがなくなってしまう…多少大げさにでも、過去についてはぼかしながら会話を描写することは可能でしょうか…
//ギルです。モル、ありがとうございます。言ってくれたアドバイスはギル自身も感じておりまして…なので、核心に迫る会話の間にヴェムルアとアハトにしゃべってもらいました。(;'∀')…最後の方、凄い俗っぽい会話だったけどねw今のところ、ギルには健人の話、このぼかし方と提示の仕方しかできないけど…読み手への情報がどこまで上手くできているか、ちょっと不安でして…頼りなくてすみません。